LETTERS for「LAMP IN TERREN」2018.10.16ー『普通の特別な日』
「ダウンロードして、曲順で聴いてな」
11時36分、大からこの言葉と共にマスタリング音源のデータが届いた。世の中的にはただの平日。僕も当然、普通に会社に出社をしている。それでも、この連絡が来た時点で、普通の1日では済まなくなった。逸る気持ちを抑えつつ、楽曲をダウンロードする。アルバム全体を通して56分という表示を確認し、昼休みの1時間をすべてこの音源に費やすことを決め、僕は外に出た。僕が務める会社の横には市内を南北に流れる川が流れていて、お昼時は食事を取るサラリーマンで賑わう。その中に混じると、僕は音の世界に身を投じた。
1時間が経った。僕は大にメッセージを送った。
ー音も、言葉も、LAMP IN TERRENの最高傑作おめでとう。俺が音楽に求めているもの、全部あった。<愛してくれよ>という言葉も、<僕が僕を好きになった瞬間から>という言葉も、全部わかってるつもりだよ。ありがとう。おめでとう。
此処にこれを書くのは至極恥ずかしいのだけど、これがほぼ原文のままだ。
そして、先に結論から書く。全方位から見て、LAMP IN TERRENの最高傑作が生まれた。
前作までの変遷を思い出してみると、彼らはこれまで足し算を行うことでサウンドスケープの彩度を高めてきていた。スリーピースによるバンドサウンドから、4人編成としての構造に完全に転換した『LIFE PROBE』、そこに鍵盤などの同期サウンドを本格的に導入した音像を創り上げることで、空想と理想を語る世界観の具現化に着手をした『fantasia』。前作の時点で、その色彩の基準は邦楽の歌モノシーンの中では、非常に高い水準に達していた。
しかし、今作で辿り着いた地点はその比ではない。LAMP IN TERRENというバンドが今まで属してきた、そして語られてきた音楽シーンさえも変化させてしまうような、革命的な音楽的階段を駈け上がった。
M3“オーバーフロー”に関してのみ先に触れておくと、この楽曲はある意味昔からのファンへの餞のように、敢えて愚直な邦楽ギターロックのフォーマットで創り上げられている。しかしその他の全楽曲は、どの楽曲も海外基準のサウンドメイクを披露し、中には、本当の意味で彼らだけが鳴らす音を持つ楽曲までもが存在している。
今作は、まず極限までミニマルな表現を追求するところから始まっている。その最たる例はM5“花と詩人”。このアルバムの中で最も速く発表された同曲は、必要最低限の音のみで構成されているからこそ、初めて大が綴った<愛してる>という言葉と流麗なメロディが大きく羽を伸ばしている。同曲のように、必要最低限の音を鳴らすという引き算の発想に立った大は、海外アーティストのサウンドの上部を掬うような形ではなく、サウンド構造全体として吸収するに至った。Coldplay、Arcade Fire、Radiohead、U2、Beck、Oasisーー多くの世界的アーティストの姿が今作からは見える。では、その音楽的な下地に対して、何を加えた結果、今作に鳴り響くLAMP IN TERRENだけのサウンドは生まれたのか。
ーーその答えにひとつは、拍子抜けするかもしれないが「ギター」である。歪んだギター。
元々、LAMP IN TERRENというバンドが始まった頃の音源を思い出してみて欲しい。楽曲の色彩を彩るのはいつだって大の奏でるギターだった。それは当時の彼が叫ぶ孤独とリンクするように、いつだって必要以上に歪んでいてザラついていた。特に、大の感情の起伏とリンクするストロークギターにその特徴が色濃い。ここが、先に挙げた海外アーティストと最も乖離している部分なのである(現に、今作において最も参照点としての影響が強い『Ghost Stories』期のColdplayは、歪んだギタープレイはほぼ使用していない)。しかし、大の歪んだギターのストロークプレイはバンド全体のテンションと感情のストーリーを語る上で重要な役割をずっと担ってきた。美しいサウンドスケープの中に歪に混ざり込んだギターこそが唯一無二のものを生み出し、大の感情を映す鏡として重要な役割を果たしているのだ。M1“I aroused”、M2“New Clothes”、M9“Beautiful”などを聴けば、バンドの感情の昂りと共に歪んだギターが響き始めるのがわかるだろうし、今挙げた楽曲群こそが、今世界を見渡してもLAMP IN TERRENのみが鳴らすサウンドを持った楽曲たちである。
本当の意味で独自のサウンドを持っているバンドなど、日本においては数える程しかいない。そういう意味では、彼ら独自のサウンドを得ただけでも、今作は彼らの最高傑作と呼ぶのに違いのない作品である。
しかし、ある前提に戻りたい。そもそも、LAMP IN TERRENというバンドは大が生み出す歌を中心に据えたバンドである。つまり各楽曲が持つサウンドとは、大が描く情景、感情、宣誓、理想――それぞれを、より深くリスナーに届けるために纏う衣装のようなものなのだ。つまり、松本大という人間が放つ心の声なしに、その衣装は生まれることはない。要するに、今作で唯一無二のサウンドを創り上げることができたということは、松本大が、自らにしか描けない自分だけの歌/言葉を紡ぐことができた証なのではないか。
大は、ずっと自分自身がなりたいと思う姿に関して歌ってきた。わかりやすく言えば、人が人として生きる上で抱く「理想」や「夢」(もしくはそれらに対する距離感)である。その内容はサウンドも含め、前作『fantasia』で一つの終着地点を見せる。
<遠回りしてでも 有りの侭でいられる声を探している>(“pellucid” from『fantasia』)
ーー有りの侭でいられる声とは何か。大が辿り着いた答えは、今作の至る所に詰まっている。自分自身の心との会話の仕方も、狂おしいほどの愛への渇望も、自分なりに見つけた孤独と他者の愛し方も、刹那の美しさへの渇望も……すべて、思い描いた理想ではなく、今現在の自分自身の言葉である。恥ずかしい程に有りの侭の感情が詰め込まれているからこそ、今作は『裸の憂鬱』というタイトルが携えられている。
あぁ だって
僕が僕を好きになった瞬間から
世界は 全ては変わっていくのだから
僕が僕として生きることこそが
偉大な一歩目だから
(M5“BABY STEP”)
そして、何よりもこの歌と言葉を紡ぐことができたことに、僕は最大の賞賛を送りたい。
自らが世の中に存在していること自体に疑問を持ち続けていた。
孤独を解消するために、孤独じゃないと虚勢を張るために、声を張り上げてきた。
何より「愛し方」も「愛され方」もわからなかった。
ーーそんな独りの人間が辿り着いた、あまりにも小さくて偉大な一歩。だが、そんな人間の嘘偽りのない命の叫びは、きっと多くの人の心を打つはずだ。<何度でも見つけてみせるよ>(“緑閃光” from『silver lining』)と歌い続けてきたバンドは、遂に自分自身の答えを見つけ出した。
前述したように、僕は大に対してこの作品の誕生に手放しで拍手を送ったのだが、大は僕からの言葉に対して「ありがとう」と返した後、自らこんなことを語ってくれた。
「今回は、みんなすごく良くなったアルバム」
以前大は「俺は独りでもやれる、お前らかかってこいってぐらいの気持ちのほうが、メンバーと会話できる気がしてきた」と僕に語っていたが、結果的に今作は最もメンバーが大に対して多くのアクションをとった作品となったらしい。例を挙げると、今まではほぼ大が創り上げていたギターアレンジも真ちゃんが生み出す割合がグンと増え、BABY STEPに関してはメロディを生み出す過程で、メンバー全員で大に駄目出しという名の鼓舞をしたのだという。大自身が自らの声に素直になり、人として拓けたことによって生まれたバンドシップこそが、この作品が生まれる最後のピースだったのだ(僕が以前抱いた、このバンドが終わってしまうかもしれないという不安はこのエピソードを大から聴いて払拭された。とても安心した)。
松本大が、自分自身に本当の意味で向き合うことができたからこそ生まれた、唯一無二の歌と音像。そして、遂に生まれた“緑閃光”を超えるLAMP IN TERRENのアンセム“BABY STEP”。
5年間という決して短くない期間を経て、再びLAMP IN TERRENは覚醒の時を迎えた。
何処までも、この歌が届きますように。
僕の願いはそれだけだ。
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