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LETTERS for 「LAMP IN TERREN」 2014-2017ー『heartbeat』誕生によせて

※2016年当時の記事です。以前テキストを公開していたLETTERSに掲載。

 少し昔の話だが、時は今年6月の下北沢251での彼らのライヴの日に遡る。今まさにファイナルを迎えようとしている、GREEN CARAVAN TOURの初日だ。その日、僕は松本大(Vo/Gt)に「これ聴いてみて」とイヤフォンを渡され、あるデモ音源を聴かせてもらった。まだメロディは鍵盤で打ち込まれただけだった、言の葉はない音源。しかしその日から、僕はその音源のことがずっと頭から離れなかった。――「heartbeatって曲」と少し恥ずかしそうに教えてくれた松本の言葉と共に、大名曲の予感がずっと心に引っかかっていた。

 この時は言の葉も携えていなかったデモ音源が、今回リリースされた“heartbeat”だ。LAMP IN TERRENというバンドにとっては、“緑閃光”という楽曲のみを収録して発売した以来の会場限定版のパッケージとなる。会場限定版でありながら、表題曲“heartbeat”、そしてカップリングには話題作『何者』の劇中歌となっている“pellucid”も収録とヴォリュームは十分。そして、この一枚は会場限定版という特殊な形ではありながらも、LAMP IN TERRENという生命の旅のひとつの終着点であり、また新たな旅の始まりを告げるものになっていると言っても過言ではない。

 何故、この作品が彼らの終わりと始まりを告げるものになったのか。それは、遂にある地点に彼らの音楽が「辿り着いた」からだ。彼らの初期の楽曲に顕著に漂っていた独特の「緊張感」と、変化を重ねることで生まれた赦しを与えるような「安堵感」、そして松本という人間が「人を描き続けた」道程のすべてが、このシングルにて新たな形を産み出した。

 まず、独特の「緊張感」という点に関して触れたい。これは、初期の頃は松本が担う部分が非常に大きいものだった。彼のザラッとした剥き出しにも感じるギターの音色。そして彼の魅せる感情の爆発のような咆哮。常に何かと対峙し、歌うことでしか自らの存在を肯定できないような諦観を持ったリリック。楽曲としても、ライヴパフォーマンスとしても、何処か「今此処にいて生きている」という自己証明を欲しがる側面。それが今まで如実に表出していたのは、彼らにとってもターニングポイントとなった代表曲“緑閃光”。静寂の中冒頭から刻まれる脳裏から離れないリフ。まるで生き物のように、熱を帯びると共に輪郭を帯びてくる心臓のようなリズム隊。静寂から一気に思いの丈と歌う意義を爆発させるヴォーカリゼーション。――そのすべてが、聴き手に対して耳/目が離せないという意味で、ある種の「緊張感」を生んでいたし、それこそが彼らの大きな特異性のひとつだと未だにライヴを観るたびに感じる。

 そして赦しを与えるような「安堵感」。これは如実に、彼らのことを知り、彼らの音楽を聴く人々が増えていった過程の中で生まれてきた。“L-R”という、歌う意義と聴き手の存在を唄い上げた原点を初めとして、“portrait”、“メイ”、そして“キャラバン”といった楽曲が生まれてきた過程――リリックには、明らかに聴き手への想いが滲み出るようになり、サウンドも同時に彼らが3ピースという鎧を脱ぐことで生まれた煌めきと懐の深さが創出された。その結果、彼らの音楽はより聴き手に近づき、心にそっと寄り添うような存在になっていく。この「安堵感」はバンドの状況と共に、生まれてきた変化であり、今の彼らを間違いなく支えるものになった要素になっていることは、彼らのライヴ会場に笑顔が広がるようになったことからも明らかだ。

 今回リリースされた“heartbeat”は大袈裟な話ではなく、そのすべてが結実した彼らにとっては完全に新たな形の楽曲と言っていい。楽曲の顔となるウワモノは、オルガンという新たな要素、“緑閃光”でも登場するE-bowの耳鳴りのような演出、大屋真太郎(Gt)によく似合う流麗なギターリフなど枚挙に暇はないが、幅を広げた彼らの方法論の中からどれも邪魔なものはなく、必要な要素のみが詰まっている。そして楽曲の序盤はそのすべてが「美しいが故の危うさ」を誘発し、全体としての「緊張感」を漲らせている。しかし、楽曲の後半になるとその音色はリズム隊の変化と共に煌めきを増し、松本の綴るリリックと呼応しながら「安堵感」を増す。その表情変化の大きな潤滑剤となっているのは、中原健仁(Ba)が楽曲の場面転換となる箇所に散りばめた「スイッチ」のようなベースライン。この楽曲ほど彼らの楽曲において様々な表情を見せる楽曲は他にはなく、その変化の口火は彼の主張し過ぎることはない、ベースらしいベースが担う部分が大きい。しかし、この楽曲の完成度をここまで高めた白眉のパートは、川口大喜(Dr)のドラムに他ならない。「鼓動」がキーワードであるこの楽曲においては、彼のバスドラムのキックは最早物語として成立している。始まりを待ち焦がれ、微かに打つもの。徐々に推進力を高める規則的なもの。感情の昂ぶりと共に熱く打たれるもの。そして、彼らと聴き手の双方向を表す微かなズレを持ったもの――ここまで物語を語る表現力にはただただ賛辞を送りたい。このリズム隊あってこそ、ウワモノが持ち寄った「緊張感」と「安堵感」の双方向を持ったサウンドスケープが創出されたのだ。

 ただ、やはりこのバンドは「歌」の担うところは大きかった。松本は前回のシングルにおいて三者三様の歌声を披露したように、ここにきてグッと表現力を増したように感じていた。今回は遂に、彼は今まで数えるほどしか発表してこなかった「ラヴソング」という表現で今までの彼らの道程すべてを綴り、歌い切った。

 ――松本はとにかく、人と人の間にある「何か」を歌い続けてきた。その人と人の間に潜む、目には見えないものが存在すること自体が彼にとっての歌う意味になるし、聴き手との会話となり得るからだ。先に挙げた“緑閃光”では、<どこかに落とした気持ち 夕暮れが連れ去ったとしても いつか同じ様に 何度も 何度でも見つけてみせるよ>という形で何度でも聴き手と音楽を介して繋がりたいという意志を示し、聴き手である「あなた」が存在している実感を得たからこそ、<何も失っていないよ 貴方が明かしてくれた この声が届いた その日から 手に入れていた ただひとつの証>(“メイ”)という歌詞が生まれた。世界の中に存在する目に見えない繋がりは、ひとつひとつ彼の中に介在していき、歌が生まれる。その究極系こそ、それなしには人がこの世に産み落とされることもない繋がり――「愛情」というものだった。

君の心の中で僕は息をしていますか

僕は放ち続ける 君が君を見失わぬ光を

(“heartbeat”)

 あなたへ放った想い、あなたと交わした想い。――それは端的に、松本がある思い人へ募らせた愛情という側面で語ることもできるが、それだけではないことは明白だろう。自らの表現に対して聴き手にはある種我儘に自己肯定を求め、しかし聴き手が歩むための光を自らが放ち続けるという覚悟。その両者が救われる双方向の関係に介在するものを、「愛情」と呼ばずとしてなんと呼ぶのだろうか。彼自身がこの楽曲を「ラヴソング」と自ら語った理由は、自らと聴き手の間にあるものを「愛情」として語る勇気と覚悟を持ったからであり、聴き手への感謝の意を伝えたいという想いの表れではないだろうか、と僕は思う。衒いなくその感情を歌い上げた松本の歌声が、過去最高に鬼気迫る表現欲求と、ストーリーテラーとしての説得力を帯び、「緊張感」と「安堵感」を創出したものとなっていることがその何よりもの証拠だ。だからこそ、この“heartbeat”は彼らにとっての特性をサウンドも含めて双方向に示した終着地でもあり、新たな方法論を得た形なのである。

 彼らにとってはバンド結成10周年のワンマンツアーが終わり、また新たな旅が始まる。僕がこの記事を綴っている今は、ツアーファイナルの直前であり、また11周年の新たな旅を告げるツアーの直前でもある。このタイミングでLAMP IN TERRENという生命が、“heartbeat”というひとつの終着点であり、またその先を示す楽曲を発表できたことを心から祝福したい。そして願わくば、彼らの旅路がひとつのタームの終わりを告げ、新たな旅路への門出となるツアーファイナルをより多くの人に目撃してほしい。その時“heartbeat”という楽曲は、これまで彼らが心の宇宙を巡る旅をしてきた証を高らかに響き渡らせるはずだから。(written by 黒澤圭介)

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※目次は下記記事よりどうぞ。



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