阪神タイガースの素晴らしい選手!横田慎太郎さん、感動をありがとう!
皆様
いつもありがとうございます。
今回は
悲しいお知らせです。
我らがタイガースの
応援したくなる選手であった
「横田慎太郎」さん
が亡くなりました。
この選手のことを
いつまでも
記憶に留めておくために・・・!
プロ野球・阪神の元選手で、
現役時代から
闘病を続けていた
横田慎太郎さんが2023年7月18日の朝
脳腫瘍のため亡くなりました。
28歳でした。
横田さんは
鹿児島県出身で、
鹿児島実業から
2013年のドラフト2位で
阪神に入団しました。
プロ3年目には
開幕戦に
センターで先発出場を
果たすなど、
将来の中軸候補として
期待されていました。
しかし、
プロ4年目の
春のキャンプ中に
頭痛を訴えて
脳腫瘍と診断され、
闘病生活を送りながら
実戦復帰を
目指したもののかなわず、
2019年に
24歳で
現役を引退しました。
病気の影響で、
ボールが二重に
見えることもあった状態で
引退試合に臨み、
センターからの好返球で
ランナーをアウトにしたプレーは
「奇跡のバックホーム」
とも呼ばれ、
書籍などで紹介されました。
引退後は
地元の鹿児島に戻って、
通院しながら
自身の経験を伝える
講演活動などを続けていました。
横田さんと同じ、
2013年のドラフトで
指名を受けて入団した
梅野隆太郎選手は
「本当に人懐っこくて
面白い弟のような後輩で、
プロの世界に入って
『お互い頑張っていこうな』
と誓い合って
プロ野球生活がスタートして、
横田といえば
寮の室内練習場で
毎日、毎日
打ち込んでいる姿が印象的で、
横田が開幕戦で
プロ初スタメンになった
シーズンも一緒に戦って、
うれしかったり悔しかったり、
いろいろな思いを
共有してきた仲間なので、
本当に残念
という思いが1番です。
横田の諦めない姿から
自分もプロ野球選手として
最後まで諦めずに戦い抜く
という思いを強くしたし、
こうして
野球ができることへの
感謝の思いをもって、
横田の想いも
常に自分の中に持ち続けて、
現役生活を
まっとうしていきたいです」
とコメント。
阪神の2軍の
田中秀太
内野守備走塁コーチは
2013年当時、
担当スカウトでした。
田中コーチは
「横田は誰よりも
ひたむきに野球を
一生懸命に頑張る子でしたし、
病気とも一生懸命闘って、
最後まで諦めずに
ここまで頑張ってきたので、
どうか安らかに
眠ってほしい
という思いです。
横田の思いも背負って、
横田のような
常に一生懸命に取り組む
野球選手を育てていきたい
と思います」
とコメント!
葬儀、告別式でも泣けた!!
弔辞は
阪神OB会長・川藤氏
が述べた。
自身が出演する
YouTubeチャンネル
「川藤部屋」では、
横田さんが現役引退後に
プロデューサーを担当。
約4分半、
ひつぎに眠る
横田さんに語りかけた。
「なんで今ここに立ち、
これを読んでいるのか。
悔しいな。
でもな、
死ぬ方がよっぽど
もっともっと悔しいよな。
無念だよな」
2016年3月25日
中日との開幕戦(京セラ)では
「2番・中堅」で
スタメン出場。
「最近にはないイキのいい
純朴な野球少年が
出てきたなと思った」
と当時抱いた印象を
明かした。
YouTube活動では、
野球以外の事でも
熱心に取り組む
横田さんの姿勢に
胸を打たれた。
「ワシは雑やのに
なんでも丁寧に
物事をやる慎太郎、
会うたびに
しっかり仕事をやろうと
必死に食らい付いてきた
その姿がかわいかった。
この老いぼれおやじを、
よう面倒見てくれた。
本当にありがたい」
と感謝を口にした。
「慎よ、
いずれまた会おうな。
その時に
あの素晴らしい
バックホームを
ワシに見せてくれよ。
ゆっくり休めよ-」
ほんまに、泣けてきました!
大山“天まで届けた”逆転V弾
追悼試合で
「ヨコが運んでくれた」
感情あらわヘルメット掲げた
2023年7月26日
「タイガース4-2ジャイアンツ」
(7月25日、甲子園球場)
ヨコ、見てくれたか-?
阪神・大山悠輔内野手(28)が
六回に決勝の逆転11号2ラン。
2連勝での堅首へ導いた。
18日に脳腫瘍のため
28歳で逝去した
元阪神・横田慎太郎さんの
追悼試合。
普段は
感情を表現しない主砲は、
ベンチに戻ると
ヘルメットを夜空に掲げ、
天国に旅立った
チームメートを哀悼した。
心地よい夜風が
優しく頬に触れる。
澄み切った空の上からは、
黄色く彩られた甲子園が
きっとよく見えたはずだ。
ヨコ、ありがとう-!
仲間にささげる
逆転の11号2ラン。
大山はハイタッチを終えると、
ベンチで天にヘルメットを掲げた。
「レフトフライかな
という感じもありましたけど、
あそこまで伸びてくれたのは、
ヨコ(横田さん)が
あそこまで運んでくれた」
打球は天に向かって
高々と舞い上がり、
左翼席へ。
虎党の大歓声を
浴びながら
ダイヤモンドを1周すると、
日頃は感情を
あらわにすることが
少ない男が、
祈りを届けた。
18日に逝去した
元阪神・横田慎太郎さんの
追悼試合として行われた
大切な一戦。
「一緒にグラウンドで
野球をやる期間は
短かったですけど、
寮生活で
『大山さん、大山さん』
と近づいてきてくれた。
そういうのを思い出しました。
今野球をやっているのは
当たり前じゃないんだと」。
大山はゆっくりと言葉を紡いだ。
特別な試合で連勝を飾り、
これで貯金は12。
「こういう試合を
増やして行かないと
ダメだと思うので、
チーム一丸となって
頑張りたい」。
大好きな野球を全力で。
横田さんのことを
愛した仲間たちとともに・・・。
私も実際に
この選手を2016年?!の
開幕戦で見ました。
「全力で一塁まで走り」
「全力でベンチに戻ってくる」
「一生懸命な姿に感動し」
「背番号24の」
「この選手を応援したい!」
そう思える選手でした。
あの引退試合での
「奇跡のバックホーム」
は、本当に
涙が自然と溢れるほどの
感動を覚えました。
ボールもよく見えない中で
自然と身体が反応し
あの「奇跡のバックホーム」が
出来たと話していました。
私たち虎ファンにとって
いつまでも心に残る
「素晴らしい選手」
「横田慎太郎」
を忘れません!!
「お疲れ様でした!」
「(生まれ変わったら)
今度こそ、タイガースで
活躍してほしい!!」
「感動を!
素晴らしいプレーを
ありがとう!!」
「ゆっくり休んでください!!」
最後まで、ご覧いただき
ありがとうございました。
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