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夢になりきれない夢

僕は最近よく夢を見る。
大切にしていた何かを、ある日突然、
忘れてしまう夢だ。

起きた瞬間には夢の内容を忘れているのだが、
内容が「何かを忘れてしまう」夢だということだけを覚えている。そして、無駄な喪失感に実際苛まれる。

夢の内容を覚えていないのに、何故なのか、「大切にしていた何かを忘れてしまう夢」という所まではわかる。景色はいつも違う。森の中であったり、病院であったり。得体の知れない何かを忘れてしまい、それを思い出そうとするのだが、夢の中で何かをしているうちに、別の夢になる。だけど夢から覚める頃、また忘れていた事を思い出して、焦る。焦ったその感情の高まりでヒヤッとしながら目を覚ますので、起きた瞬間は、まだ夢から覚めた感覚があまりない。

とにかく僕は、起きた時には夢の内容は綺麗さっぱり忘れているのに、思い出さなきゃいけない焦りだけが残っているのだ。ただ、夢なので、数時間後にはそんな夢の事もどうでも良くなってしまう。なのに起きた時には、とにかく憂鬱で、その夢を見た日の朝には、何かをしようという気持ちにはなれない。朝ごはんも、その日の撮影ですらもう、その夢で、朝のルーティンの全てが壊れてしまう程の破壊力を持つのだ。

まぁ、テレビをつけよう。
いつもはテレビすらつけないのだが、この日はなんとなくテレビの世界の流行でもインストールして、適当な会話のネタにしよう。
その程度のノリで。
つけた僕がバカだった。
テレビには、首相の銃殺について、
議論を交わす専門家や、著名人。

撃たれる時のSPの対応が遅すぎるだの、どうの。こんな議論をしている奴らが、撃たれる寸前にどんな姿で撃たれるのか。今流行りのモニタリングでもしてみたらどうだろう。

人が亡くなったその瞬間、その故人の記憶が消えるような世の中だったら良いのに。そしたらきっと、人間はより動物的になって、目の前のことに集中できるに違いない。そんなどうでも良い妄想を頭に浮かべて、一方的ではあるが知っている人が亡くなられたという精神的なショックを和らげておいた。

その日は身近な人が死んだ時みたいに、心の中に死を想像した。道ゆく車を眺めながら、ホームで電車を待ちながら、果てには、その辺にいる通行人の手元に、何か隠し持っていたりはしないだろうか、と。

僕の母方の祖父が死んだ時、じいちゃんは身体に電流を流されて、かろうじて血液は循環しているようなそんな状態で、みんなで意識の回復を待った。

「意識不明の重体」とは、そういうものだ。

広義では、なんとなくもう死んでいる。
それをわかっていながら、みんな、それぞれが生きていた時の思い出を思い出しながら、たまに声をかける。

「また一緒にうなぎを食べようね」
「一緒に熊本、まだ行けてないよ」
「ゴルフがまだ途中だよ」

声に出さなくても、
なんとなく伝わるような気がした。

死体が焼かれた時、思い切り骨を砕く仕草に少し冷めたりして、みな冷静になった。

僕のじいちゃんはゴルフ中に倒れ、死ぬその時まで楽しいことをしたのだから、それで良いのだ。

僕はついこないだ、
利尻山で夕日を見た時の事を思い出した。
あの時、夕陽が礼文島に落ちていく様をただぼーっと眺めて、「今この瞬間なら、死んでも良いかもしれない」そう思ったんだ。

礼文島を赤く照らす太陽。

そんなこんなを、自分の写真展に向かいながら、歩きながら。ビルの立ち並ぶ東京都日本橋の景色と、青空を眺めては、堂々巡りしていた。

これかもしれない。
人が死ぬ感覚、忘れちゃいけないな。

僕も死ぬんだ。
僕もいつでも死ねるんだ。

夢の中での記憶は、いつも起きたその瞬間に消えてなくなる。でも大事な気がする。

僕が大事にしたいと思った時、
その夢の事を、思い出すのだ。

正直、このアバウトさが良い。

「大事にしていた何かを、忘れてしまう夢」

それだけ覚えていれば良い。

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