結婚式が嫌いだ

何故嫌いかというと、二人の遠くの未来についていやでも語らなければならないからだ。複雑すぎてなんの味かわからないほど濃厚なソースがのった伊勢エビ、形式てきな祝辞、終わらないスピーチ、終わらない二次会、高いお祝儀。

かくいう私も、同級生から二次会の幹事を任されたことがある。披露宴専属の音響をした経験を知っているからだ。当時の私はなにも考えていなかったから、二つ返事で引き受けた。二次会のBGMと司会も引き受けた。正直腕二本じゃ足りなかった。笑

打ち合わせ時から当日まで、店のスタッフと揉めてしまった。退場後は早めに切り上げて欲しい、マスターは触らないでほしい、など。勝手な店の都合ばかりでサービスマンのプロ意識のかけらもなかったからだ。大事な友人のだぞ?

音を鳴らすのは好きだが、どうもマイクを握るのは好きではなかった。

友人の前で酔う訳にはいかないし、彼の職場関係のメンツもあるだろうから、どうも気を抜けなく婚礼はたのしめない。

かくいう友人は「今度君の結婚式には必ず幹事するから!」と最後に言ってくれたのだが、残念ながらこの先予定もわからないし、申し訳ないがもし結婚するなら少人数で挙げたいから彼は呼ばないことにきめている。

また、葬式などまっぴらごめんだ。これから先将来、別れも増えていくことだろう。涙ながらに亡骸に問いかけるのは不思議な気分になる。

死者にまで未来を期待するのはかわいそうだな。

輪廻転生という終わりなきループは生者の都合のいい自己満ではないのか。また、死後にまで未来をもたせるとあの世とこの世の区別が分からなくなる。


だから、亡人には、「もうここで貴方の存在は消滅ですよ。お疲れ様でした。」でいいじゃないか。

未来を語るのは結婚式だけで充分だ。


真夏のピークはまだか。身体にはお気をつけて。

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