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忘れられないあの日のこと

大好きなおばあちゃんとおじいちゃんの家の庭でお昼にBBQをしたあの日。わたしのおじいちゃんは毎日10000歩以上歩いていてその日は足りなかった。
それでみんなで片付けをした後、10000歩に足りてないから歩いてくると言った。おばあちゃんがお酒を飲んだ後だし今日はいいんじゃないかと言ったが絶対に行くと言って聞かなかった。


わたしはおじいちゃんが支度をして出かける時について行こうとした。玄関を出るところで"すぐ帰ってくる"と言われたが"一緒に行きたい"と言って靴を履いて着いていく。いつもだったらおじいちゃんが"いいよ"ってしょうがないと折れてくれる、一緒に行ける。これがいつもだった。

庭の先にある門のところで"一緒に行く"と言うわたしと"ひとりで行く"と言うおじいちゃんしばらくそうしていて絶対にひとりで行かせたらだめだと思ってすごく駄々をこねた覚えがある。それでもその日のおじいちゃんは絶対に一緒に連れて行ってはくれなかった。

結局わたしは泣いたけども連れて行ってもらえなかった。はっきり覚えてないけど、来るなと怒られた気もする。その後もしかしたら一緒に連れて行ってくれないと嫌いになるとか言った気もする。


それでも泣いて、怒られても、嫌われても着いて行ったらよかったと思う。いまでも。ずっと思っている。


その後私達はおじいちゃんが帰ってくる前に私達の家(おばあちゃんとおじいちゃんの家から徒歩5分くらいの場所)に帰り、その頃のいつものように家の隣に住んでる子と向かいの子達と遊んでいた。

日も暮れかけたころ救急車が通った。

その時の耳に響くサイレン音とそのあとに通った救急車を見た瞬間を絵のように今でも思い出せる。

いつもだったら何も感じないのにそれにその日は心臓がドクドクと速くなってギュッと掴まれたし異常に耳に残っている。

きっとそれはおじいちゃんが乗っていたんじゃないかと思う。


その日散歩に行っただけのおじいちゃんは帰ってこなかった。


警察から連絡があって、歩いている時に転んで頭を打ったらしいと幼かったわたしは聞いた。

運ばれた病院では子どもは会えなかった。

(わたしの記憶だと2回しか病院に入ってない。1回は見つかってすぐ。この時は病室に入った。もう1回は廊下で待っていた。)いつも車で姉と待っていた。


それからの日々はおじいちゃんが亡くなるまできっといつかまたなんかのきっかけで目を覚ましてくれると思っていた。でもやっぱり帰ってこなかった。


あの日もっと泣いて、もっと怒られても、しがみついてでも着いて行ったらよかった。本当にそう思う。

もう2度とこうやってこうしたらああだったらってたもいたくないな。



My rule 1
後でこうしたらよかったなって思わない道を選ぶ納得するまで進まない。納得するまでやる。


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わたしは時々、人生の大切な時に強く感じるものやことがある。実際ははじめてのシチュエーションなんだけど

"この景色をどこかで見たことある"とか

"この会話こうやって進んでいくんだよな"

とかいつかどこかで見たことを繰り返しているような、何かに導かられているようなことがある。わたしはそれを受けいれてその時と同じことをする。そういう時はいつも物事が良い方向に進んでいく。

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