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MITSUをとりもどせ‼︎【エッセイ】

Web版詩集を編んでいる。元々は去年の夏頃に完成させている予定だったものが、ちょっとしたことでケチがついてやる気をなくしてしまったのだ。ちょっとしたこととは、昨年初頭から日本を騒がせているウイルスのことだ。ウイルス自体は決して「ちょっとした」ものではないのだが、その余波は言葉の世界にまで広がっている。

私家版、自費出版、諸々合わせて、今回の詩集は3作目になる。詩集ごとのテーマというか、メインのモティーフなるものがあって、今作でのそれは「蜜」であった。
「蜜です! 蜜です…蜜です……」
と、口うるさく言う僕の心象は、モティーフが「蜜」であって「密」ではないことを強く主張している。「蜜」をモティーフにした詩を書き始めたのが3年ほど前。思えば安穏に暮らしていたものだ。しかしこの1年の間に、安心が壊れ、暮らしが壊れ、その余波で「MITSU」はすっかり「密」になってしまった。

詩歌の言葉とは「意味」だけでなく「風味」を問うものだ。たとえばディスタンス。僕にとっては英単語として意味を表すdistance(距離)よりも、楽曲のタイトルとしての風味の方が強かった。ディズニー映画の「Go the Distance」宇多田ヒカルの「(Final)Distance」はどちらも雄大なバラードで、「Distance」には希求の心と切なさとを備えたポエジーを喚起させる力が宿っていた。それが「ソーシャル」だの「フィジカル」だの要らぬ接頭語のせいで、すっかり雑味が混じってしまった。

その一方で昨年末の歌番組で披露された「星空のソーシャルディスタンス」のように……

♫ 星空のディスタンス
   / THE ALFEE × 阿佐ヶ谷姉妹

星空の下のディスタンス
守ろうよソーシャルディスタンス
さえぎるコロナ乗り越えて
この胸にもう一度...
Baby Come Back!

偶然性が新たな詩情を生むこともある。「星空のソーシャルディスタンス」はもちろん替え歌なのだが、そこにあるのは安い注意喚起や駄洒落などではなく、閉塞感からの解放(=新たなる詩情)だと感じている。それは人間の解放でもあるし、「ディスタンス」というこの1年ですっかり檻に閉じ込められてしまった語の、星空の下への解放のように思える。言葉が詩人の手に取り戻されたとも言えるかもしれない。

この偶然の解放には、楽曲の持つ力、歌の包容力、時間が人々の胸中に醸成してきた詩情、そしていま多くの人々が感じている閉塞感など、さまざまな要素が作用していると思う。そして何より「ディスタンス」自身が外に出たがっていたのではないかと、切に思いを馳せるのだ。

同じように閉じ込められてしまった「MITSU」
「密」から「蜜」を取り戻すのが、今回のWeb版詩集に与えられた使命だと(勝手に)思っている。つまりライバルは都知事である(!?)
THE ALFEE×阿佐ヶ谷姉妹ほどはやれなくても、この時運に挑戦してみたい。

……冗談はさておき、詩集を作るのはとても楽しい作業だ。実は詩そのものを書くのはしんどい。待ちながら泳ぎながら走っているのに「ゆっくり歩け」と言われているようなものだ。詩集の編纂には詩の推敲も含まれるので、辛い作業も数多く残っているのだが、3年間意識してきたモティーフがようやく結晶化することを考えると、待つよりも泳ぐよりも走るよりも歩くよりも、心躍る方が勝るのである。

3月上旬にnoteで発表予定。僭越ながら有料記事・マガジンを想定している。それは作品の価値や、能力とか労力に見合う云々の話ではなく、詩の世界への「参加料」として安価ではあるが設定したい。無料とは素晴らしい文化になりつつあるが、作品と読者の関係を希薄にする要因にもなると思っている。
参加料を払って損した!などと思われないよう、しっかり完成させたい。




*テスト


散文詩(2019/5/28)



うららかな日に



夜の色香

ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!