レニィさんとお薬。

うつ病の診断が最初に出たのは、新卒でクソ会社で事務をしてた時。
仕事に行くのが嫌になっていて、でも責任だけは果たさねばと、毎朝6時半に起きて、食欲なんてそんなものないから何も食べずに、犬にご飯をあげて、トイレの始末して、ケージに戻して、バスに乗る。そんな生活。
あの時はとにかく食欲もなくて、毎食ゼリー飲料だった。
朝9時から夜19時勤務。
休憩時間は営業さんの問い合わせや、来客・面接対応なんかが常に飛び込んできて、ないようなものだった。
細々とした備品の買い出し、銀行巡りで営業さんの交通費精算と郵送物のための小口精算の準備。
郵送物の多いそこでは、結局集荷サービスに間に合わないものを急ぎで、郵便局の営業時間ギリギリに運ぶしかなくて、台車で郵便局まで往復した。
定時に終わればよかったけど、細かい仕事が残っていて、結局21時とかになって、時間外郵便を出す為に大回りして帰ったこともある。
ラッシュの電車に乗って帰って、家につけばもう24時なんてこともあった。
疲れ果てて、食べ物を食べると吐き出しそうになるのを堪えて、飲み込んだ。これでまた寝て、起きて、行かないと行けない。その繰り返しが社会人だと信じたかった。

信じて疑いたくなかった。

ある日、仕事だと思ってハローワークに求人を出しに行ったら、内容が違法だと言われ、受付を拒否された。
周りの先輩たちは、うまくごまかさないとと笑いながら指摘してくる。
新卒の子の質疑応答のために前に出される。もし他にいいと思ったらそこに行ってもいいんだよと素直に答えて、

「余計なことは言わないでくれ」

と、上から指示を出された。
その時点で、ここはおかしいと気がついた。
だけど、卒業ギリギリに内定をもらったのはここだけだった。
わたしはこの会社に入社した。
わたしが入る代わりに退社した先輩たちの仕事をしないといけない責任があるんだ。

その日の朝も6時半に起きて、着替えて、犬にご飯をあげた。
この後は仕事に行かないと行けないんだ。
そう思っても立ち上がれなかった。
動きたくなかった。

わたしが動かないので、犬はテニスボールを手に押し付けきて遊ぶように催促する。思えば、犬なりの心配で、仕事へ行くのを止めさせるための動きだったのかもしれない。
母も前日からわたしの動きを止めるつもりで、支度をしていた。

仕事を休んで行った、平日のディズニーランドはわたしに元気をくれた。

そして、落ち着いたわたしは心療内科にかかり、うつ病と診断を受け、仕事を辞め、薬を飲むようになった。
種類はだいたい2〜4種類。少なめから始めるので、飲む数はどんどん増えた。
増えたけれど、心はひとまず落ち着いた。
毎月の薬代が痛いけど、これがあるから落ち着いている。
薬を飲みながら、わたしは次の職場に転職した。
休憩時間はきっちり取らせてくれる。なんなら、休憩のための部屋すらある。身体に無理をさせて入院しても、補助金も出るし、勤務時間の調整も、日数相談もさせてもらえるいいところだった。

そろそろいいんじゃないかと思った。

薬を減らそう。
薬代がダントツでかかる。
わたしが節約して、貯金するには、医療費をなくさないと。
だから、薬を減らそう。
頑張って。

当然、薬は徐々に減った。
最後には服薬指導もなく、長年通っていたクリニックからも離れた。

うつは克服していないのに。
それを無視した。
自分は大丈夫だと、過信して。

それは当然の如くやってきた。
仕事へ行かなければならない責任。
通勤によって削られる体力。
仕事を探して先にやっておく努力。
周囲からの視線に耐える精神力。
一気に倒れ込んで、身体が動かなくなった。
わたしは、通わなくなったことを喜んでいたクリニックに予約を入れた。

当然のことながら、薬は出た。
個数も種類もそれなりに。
それは今も続いている。

時々、シートから錠剤を押し出していると、そろそろ減らすべきなのではと思うこともある。
いつか減らすべきではあるけど、
減らす為に努力するのは、
よくないことだとわかっているから。

だからわたしは今日も飲む。
睡眠導入剤 2.5錠
抗うつ剤 3錠

最近慣れてきたのか、割と夜中にも目が覚めるのが気になる。
けれど、自分は大丈夫だなんて過信はもうしたくない。
毎晩薬を飲むたびに、そう思う。

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