レニィさんにとって書くこととは。

物語を書くのが好きだ。
そう、思うようになったのはいつからだったんだろう。
読むことが好きになった瞬間は、今でも覚えている。6才の夏。富山の祖父母の家で、みんなが昼寝で寝静まっている時、急にアンパンマンのあいさつの絵本に書いてある文字が理解できるようになった時。
本当に不意の出来事で、自分でも驚いたことを覚えている。"お"という文字が、"お"と読むのだと、わかってから、最初から、最後までスラスラと読めるようになっていった。
これが、本を読むってことなんだって感動と感激で身体が震えた。音読する声はもっと震えてた。
幼稚園を卒園する頃には、ひらがなぐらい平気で読みこなせるようになって、小学校に上がった時、国語の授業の音読や書き取りがつまらなくて、毎週の図書室の授業が楽しみだった。
最初の私はただ、ただ、読むことが好きなだけだったはずだ。
それがいつから、物語を書くのが好きになったのだろう。
別に物語っていうのは、書かなくても存在できるんだ。
ままごとでも、
お人形遊びでも、
おいしゃさんごっこでも、
それらは全部誰かと、もしくは自分一人の作り上げた世界と設定で登場人物に役割を与えること、物語を作ることだ。
書き残したりしない、ただ楽しむ一瞬のための物語。

わたしはそれらをいつから書き残すようになったのか。

小学生の宿題。ゆとり政策から発生したであろう、自由な宿題ノートに、辺鄙なお話を書いた時からなのだろうか。
漫画みたいな絵が書けないから、それを補うために書いた物語のノートが始まりだったのか。
本当は文芸部のある高校に入るつもりが、出願書類の提出手違いで受験すらせずに、推薦入学で入った学校で、ラジオドラマの脚本を書くようになったころなのか。
脚本を書くために演劇部に入ったころなのか。
初めて二次創作に手を出したゲームの推しキャラのおかげなのか。

いつから書くのが楽しくなったのか。

それは明確には思い出せないけど。
物語を書くことで、自分の言葉を代弁させていたりすることで、すっきりすることは多い。
面と向かって言えない臆病者が、なんとかして発している方法が物語で、そこで発散することが快楽なんだろう。
言葉の刃を収めるためにも、わたしは物語という鞘を編んでいくべきなんだろう。

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