本に救われて

私自身、本がなかったら神経を病んで自殺願望に包まれる日々か、思い切り非文明化して猿のように暮らしていたと思う。どう世の中と折り合いを付けたらいいかわからなくて日々苦しんだと思う。
そういう意味では私自身は本に救われている。

ただ、私にも苦手な本、読むのに腰の重い本、何度も挫折している本、買うだけで1ページも開いていない本など飾り化させた本も沢山ある。だから本を読みたくない、本が読めない人の気持ちもわかる。

私は、自分の得意な分野について、苦手な人にどうすればこの面白さを伝えられるのか、ということばかり考えてかなり長い期間を過ごした。中学生の頃に誰も王朝古文に興味を示さないので、「この面白さを伝えられたら」と考え、かつて私がそうだったように、読みやすい簡単な会話体で書いて人に物を伝えるということに励んでいた。

そして20年以上過ぎて考えが変わった。
私が王朝古文にはまったのは、一冊の本と、それ以外は数多くのテレビ番組という補助線のためだった。「わかるわかる」と理解をうながして知力の足りない私の興味を絶やさずにいてくれたのは、テレビ番組だった。それがあったから、次々活字を読める段階に進めた。
活字は活字の好きな人向けでいいんじゃないか、と、考えるようになった。
活字をがんがん読むには(私も特定の得意分野しか読めないし)、そこまで育たなければ読み続けられないし、育てばより高度なものが読みたくなる。
それなのに、活字に慣れる前の人に向けた内容ばかり増えても、退屈になる。いやもう少し詳しいことを教えてくれる本はないのか、と思う。

だからどうだという訳でもないんだが、本や記事の役割をもっと考えないとね、という自分向けの備忘録だったのでした。
どうも「興味持ってない人の興味を惹くには」ばかり私は考えていたと思ったのだ。自炊で電子書籍つくるほど活字が好きなのに、出版業界はあまり電子化に熱心でなかった時期に「何故ファンの声に応えないのか」という意見を読んで、撃たれて、我が身を省みたのである。

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