恋愛の話
米津玄師の「Lemon」を聴いてると、私も愛について書きたいと思ってしまう。でもちょっとまだ無理かな。
というか、対人間へ無防備に全力で愛を捧げるという事がもう出来ない。
もう、という事は一応私なりに過去にそれに挑んだ事がある。
その結果、相手から返って来たのは、私を10年という長い年月に渡ってどれほど踏み躙り取れるものを取れるだけ搾り取ってもこれっぽちの良心も痛むことのない人間の姿だった。愛を捧げる相手を見誤ったのもある。ただ、そう何回も出来る事じゃないのは想像出来ると思う。持ってるものなんでも差し出すという事は、私自身が滅ぶ危険もあったという事だ。それをおして差し出し続けるということが、人生で何度も出来る訳ないんだよ。死ぬわ。
そんな体験からももう何年も経ているけども。
でもその体験を経て強烈に冷めた心が私にはある。そもそも人間相手に何かを期待するのは間違っているし、そこまで何の期待もなしに無償に何かを捧げ続ける事が私はもう出来ない。
「Lemon」で歌われている、相手が死ぬほど悲しんでいるなら私の事など忘れて構わないと言える思い。そういうのが私にはもうない。というか遂に一度もなかった。自分がこんな風に人を愛せない事も、愛されていると思った事など一度もない事に涙が出て来る。
あるいは、愛されているのかもしれないけど、あまりそういう気がしない。
私の不幸は、他人が私を大事に思っている事がまったく信じられない、というところかも知れない。
返って来ないものを一方的に与え続ける事も、おそらく毒なのだ。
「Lemon」を歌える人は、きっと、愛したり愛されたりが出来るのだろう。だから、何歳になっても愛の歌が歌える。
私も、命を懸けるとか大げさな意味でなくても、他人から受け入れられている事にもう少し慣れなくては、と思う。それが出来たら、愛の話を書けるかも。
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