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歌姫讃仰 ちあきなおみ

 ちあき なおみを知ったのは、いつのことだろう。
 たぶん、「四つのお願い(1970年)」からである。
 妙にくねくねとした歌であり、くねっとした人だと思った。
 「喝采(1972年)」で大ブレークした。喪服の歌は他に知らない。

 さだめ川(ちあき なおみ 1975年)
 厭歌である。
 これは、怨歌(現世の最果てにある怨念の世界からひびいてくる歌)を突き抜けたその先にある、厭離穢土の世迷い事からも遠く離れた、孤独な魂たちの、さすらいの歌だ。
 低くうねる川の波、いつまでも残響は消えないままだ。
 「喝采」も素晴らしい出来だが、この歌にこそ彼女の真骨頂が出来している。
 どこに流れ着くとも知れないが。

 あなたの愛の 流れるままに
 ゆるした夜は 雨でした
 私的には「ゆるした夜の さだめ川」でなぜか記憶してしまっているが。

 誰かを愛するということは、それが気儘に選べるものではないとすれば、一個の、それこそ一回性の運命であり、宿命的なものなのだろう。
 誰かを深く愛する、誰かを訳もなく欲する、それは、意志の力によってではなく、持って生まれたその人のさだめによってであろうから。
 一つのさだめともう一つのさだめがぶつかり合うとき、人は或いは神ともなり、或いは悪鬼ともなりうる。
 誰ひとり心から愛せないこと、それが、もう一つのさだめ、寂しくも厳しい人生の掟であるのと同じに。

 雨に濡れた慕情(1969年 デビュー曲でこのハイレベル。これは、ジャズですね。)、矢切の渡し(1976年)、紅とんぼ(1988年)、黄昏のビギン(1991年)も出色の出来です。
 彼女は、実にどんなジャンルの曲でも歌いこなせる確かな技術と歌に対する情熱、恵まれた声を持った人だったのですね。
 彼女を美空ひばりの後継に譬える人もいますが、そういう枠には決して収まり切らないものを彼女は持っている、そう思わずにはいられません。

 中森明菜の「BLONDE(1994年)」
 「微熱より熱い」と彼女が歌う時、その唇が微熱で溶け出している。
 ワンフレーズで最高の到達点に達している。
 おそらくある意味、奇跡的に。

 愛にはつねに暴力性(暴力への近縁性)が伴う。
 赦しという儀礼、制御された一連の身体の動作、例えば、舞いに近い、祈りのしぐさがなければ、愛はたちまちに暴力の巣窟、沼と化す。
 赦しを経なければ、決して結ばれることのない世界にあって、この世界にともにあることを許す、その、その度ごとに繰り返される慰謝と承認が、愛を育て、世界を生き延びさせる。
 排他と独占という掟(仕切り)がなければ、生命の片割れである愛は、いずれ枯れる運命にある。
 所有との近接、折り合いが、愛をより陰影の深いものにしている。
 そのことを、このさだめの川は、わたしに教えている。

 二人の恋を 憎むよな
 故郷の町を 逃れる旅は

 あなたの愛に 次の世までも
 ついて行きたい わたしです

 一つ間違えば、究極のストーカーともとられ兼ねないか。
 その境目に生きる小さな魂の裂け目が震え、揺らぎ、地の底をうねり、やがて、のたうつ大きな波となる。
 唸り、呻くように、歌う声が、その波間を風のように駆け抜けて行った。
 何一つ付け加えることも、削り取ることもできない、露わにして、秘匿された歌の本性がそこに息づいている。

 人と人、そのつながりの底辺には、音もなく、深い川が流れている。
 伏流するその流れは、時に人を遠ざけ、時に人を近づける。
 男と女、そこに流れる一筋の川は、水面(みなも)を洗う激しい潮流ともなれば、残照を浴びた穏やかな凪ともなる。
 寄せては返す波の間に、或いは、足早に流れ去る雲の間に、微かに光を放つ星や月、深々とした夜の相貌を隠しもせず、その陰翳に情念の隠された彫像を浮かび上がらせる。
 時折聞こえるその嘆き、悲しみの声は、怒り、憎しみの嗚咽に搔き消されもしようが、喜び、慈しみの歌にまでは届かない。
 それこそが、生きてあることのおごそかなる宣言であり、生命の根源に迫る切なる訴えであるから。

 思えば、ちあき なおみは、千手観音であった。
 その歌は、ユーラシアの西の果てから東の果てまで、ファドか馬追にも似た音の響きで、ひたひたと迫ってくる。
 音を観る、その功徳(菩提心)を自ら体現した人そのものであった。
 讃仰


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