ドゥ・ノット・アフレード・オブ・クラウンウイルス

 「ドーモ。」「これはこれは失礼しました!ドーモドーモ!」アイサツを交わしたあと、トビコミ営業員の愛想笑いが凍りついた。ドアを開いてくれたこのピザ屋の店員と思われる目つき悪い青年が、すでに目の前にいないから。

 代わりにそこに立ってるのは、赤黒の装束で身を包む禍々しいニンジャ。その手に握ってるのはピザのメニューでも名刺でもなく、「忍」「殺」たる地獄めいた字体が書かれてるメンポ。

 「……ニンジャスレイヤーです。」

「ククク。バレていたというわけですね。やれやれ。」トビコミ営業員が名刺を投げ捨てると、みるみるうちに彼はスーツ姿から毒々しい色合いのニンジャ装束姿に成り代わった。マスクのようなメンポに、王冠じみた兜!

 「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。クラウンウイルスです。」

 「なるほど、道化だったのか。」荒々しいカラテを構え、ニンジャスレイヤーがさっき手渡された商品カタログに一瞥する。「アイギス防菌マスク」「殺菌にはアルコール」「強きゼロな」……ニセ医学商品の連なり!

 「街中にウイルスを撒き散らし、その被害に乗じてデマを流し、ビジネスを打って出る……下手くそマッチポンプとは思ったが実際ド三流なお笑いか。腑に落ちたぞ。」

 「ククク。この世界において一番強い力とは何かは知ってますか、ニンジャスレイヤー=サン。」クラウンウイルスが構えもせず、尊大に両手開けてニンジャスレイヤーを見下し、無人なピザタキ店内を見渡す。「カラテ?ジツ?違う違う。情報力ですよ。」

 「……」

 「実際このワタシの経験談です。ノルマに追われて過労死寸前だったヨロシサン営業員だったワタシは、ニンジャとなった。情報弱者の愚民にいいように操り、甘い汁だけを啜ることができるように、このウイルス・ジツを手に入れた。知こそ力なり……。」

 「ニンジャになってまでやってることは詐欺師。発想の時点で小学生以下だ。」ニンジャスレイヤーが手招きをし、挑発した。「ビジネストークは終わりだ。かかってこい。……ウイルス退治だ。」

 「ほざくがいい!イヤーッ!」目にも留まらぬ速さでクラウンウイルスが両手を前に翳し、滝めいた水流を吹き出した!彼は実際サイバネポンプが背負っていて、そこから凄まじい石鹸入り沸騰水を両手の噴出孔から射出するのだ!

  だがニンジャスレイヤーのが早い!「イヤーッ!」一步踏み込み、投擲するスリケンが正確無比にクラウンウイルスの熱湯噴出孔に命中し、水流を逆流させた!

 「グワーッ!?」クラウンウイルスがもだえ苦しむ。迸る泡立つ熱湯が彼の手の平、手の甲、指の間に流し込む!さらには手の首も忘れずに綺麗に洗う……テアライ!

 「お、おのれニンジャスレイヤー=サン!」苦しみに大口開いて絶叫するクラウンウイルス……その口の奥にはさらなる噴出孔!「食らうがいい!イヤーッ!」

 だがニンジャスレイヤーのが早い!「イヤーッ!」一步踏み込み、繰り出す左ショットアッパーが見事にクラウンウイルスの顎を捉え、熱湯射出する瞬間に彼の口を閉ざした!

 「グワーッ!?」クラウンウイルスがもだえ苦しむ。強力な水流が口内を揺すり、ブクブク!次は方向を変え喉の深い奥まで暴れだし、ガラガラ!そして何度も繰り返す……ウガイ!

 (こ、こいつはやばい!強すぎる!)クラウンウイルスが覚悟を決して、自らニンジャスレイヤーの右拳を受け入れた。「……イヤーッ!」「グワーッ!」そしてその勢いを利用してバックフリップし、ピザタキ店内から離れて、街中に飛び出た。人混みに紛れて逃げる気だ!

 だが、「バ、バカナー!」絶望な表情で街を左右に見やる。どこも無人である!「不要不急の外出はちょっとやめないか。力合わせてウイルスに打ち勝ちましょう。」空を泳ぐヨロシサン社のマグロ・ツェッペリンが宣伝標語を悠然と謳歌し、クラウンウイルスに目もくれない。

 「あ、ああ……。」そして、赤黒の死神が決断とした足取りで近寄ってきた。その目には揺るぎない殺意。

 「こ、後悔しますよ!ワタシを殺したところで、取り戻しのつかないような事態になるだけだ!」

 「ハイクか。長いな。」

 「ニンジャスレイヤー=サン!ちょっと待って下さい!」

 ピザタキの二階から声!ベランダから身を出しているのは、オレンジ色の長い髪を風になびかせる美しい娘だった。彼女はなぜか鳥のクチバシじみた形の不思議なマスクをつけている。

 「ニンジャスレイヤー=サン!彼が背負ってるポンプを見てください!」

 クラウンウイルスがハッとした顔となり、そして邪悪に両眼を細めた。彼が背中にあるポンプを外して、ニンジャスレイヤーに銘柄を見せた。『26℃マイナス粒子水素水ウォーターサーバー』!

 肩を震わせて高笑い!「そうです!これは実際ワタシが開発したウイルス特効製品です!そしてワタシが死んでもウイルス・ジツは死なない!この最後の一基はワタシとともに自爆するだけだ!」

 「まぁ!」二階のコトブキがクチバシを手で覆う!

 (勝った!これで……!)クラウンウイルスが危機を脱したことに確信した。このニンジャスレイヤーどやらはこのボロ店の住人とはいかなる関係なのかは知ったことではないが、彼のニンジャ聴力はたしかに店内の奥にもうひとりの止まない咳が聞こえてる。

 (そら見たか!情報力の勝利!ワタシは世界の王になるのだ!)「どうです?見逃せば実際良心価額でこのウォターサーバーを譲ってやっても」「イヤーッ!」「グワーッ!?」

 首回転260度!吹き飛ばされたクラウンウイルスを空中で掴みかかり、ニンジャスレイヤーさらに右拳を高く挙げた。「ビジネストークは終わったと言ったはずだ。イヤーッ!」顔面にストレート!「グワーッ!」「ハイクも終わったな?イヤーッ!」「グワーッ!」

 「ちょ、ちょっと、ニンジャスレイヤー=サン?」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」降り注ぐ暴力の雨!

 (か、かくなるうえぇぇぇ!)「ウイルス・ジツ!イヤーッ!」クラウンウイルスが意を決して、左頬が裏拳に千切られながら、ニンジャスレイヤーに抱きついた!その全身から七色な血が吹き出し、ニンジャスレイヤーにぶっ掛かる!

 「ワタシの体液そのものがウイルスの温床!直接接触ならほぼ致死性!死ね!ニンジャスレイヤー=サン!死ねーーー!アバーーーーッ!」

 ……鈍化されてゆく時間の中で、クラウンウイルスが自分の肩を切り開き、胸まで達し、心臓を裂いたニンジャスレイヤーのチョップを見つめた。泥めいて緩慢で、しかし問答無用な痛みや死の実感がやってくる。

 ザンシンするニンジャスレイヤーと目が合う。迷いも動揺もない眼差し。なぜだ。怖くないのか。ウイルスを……死を怖くないのか。どうしてこうも落ち着いていられる?

 (おててをきれいに~うがいもわすれない~)歌が聞こえる。歌うのは誰だ。自分の手を握って楽しそうに歌う女の人。風邪の倒す方法が知れば怖くない。いっぱい勉強すれば何も怖くない。知識は力だと教えてくれた女の人。

 ああそうだった。だからワタシ頑張った。頑張って頑張って勝ち組にもなって、そして……そして……

 「……サヨナラ!」クラウンウイルスが爆発四散した。

◆◇◆

 「コッホ!!コッホ!ケホケホケホ……こ、コトブキ…。」

 「はい。ここにいますよ。」

 「俺、今度こそダメかもしれねぇ……ケッホ!ケホケホケホ!だ、だからお願いが……」

 「自我があるのでダメです。」

 「まだ何も言ってねぇ……!」

 部屋のドアに叩く音。タオルを優しくベッドに横たわるタキの額に置き、コトブキがドアを開ける。廊下にはマスラダが数歩置いた距離に立っていて、紙袋を無言で差し出す。

 中をあらためて見ると、食べやすい栄養品、タオル、冷却シート……「買ってきてくれたんですね。ありがとうございます。」

 「……身の回りを清潔にして、食って寝ろと伝えろ。風邪を治すには結局これしかない。」

 「伝えます。詳しいですね。」微笑むコトブキにマスラダは返答せず、踵を返して一階に降りた。

◆◇◆

 数日後の朝。

 泡をすり合わせ、手のひら、手の甲、爪の間、手の首をマスラダが丁寧に洗う。ほぼ無意識だった。昔、いつも隣で一緒にこうして手を洗う人や、ちゃんとやらないと叱ってくれる人がいた。

 後ろに物音。いつも以上に死にそうな顔してるタキがフラフラと寄ってきた。二人が無言で視線を交わす。「……」タキが石鹸を取って、泡を立ち始める。

 三つのマグカップを手に、今度はコトブキもやってきた。タキが黄色のカップを取り、コトブキのはオレンジ色。間を置いて、マスラダが残りの赤いカップを取った

 「「「うがががが……」」」狭いトイレで、暫く三人がこうして肩を並べていた。
 
(ドゥ・ノット・アフレード・オブ・クラウンウイルス、終わり。)
 (ありがとうございました。)

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