つぶやきに収まらなかったふまけんへの感情
今日のきゅある聴いて和歌山rapのこと思い出してまた考えちゃったんだけど、ライブの挨拶とかでも一生とかずっととかこの先の時間を縛るような言葉をなかなか言えなくてせめて今がもう少しでも続けば、とか言っちゃうふうまがさ、あの和歌山rapではさ、けんとに向けて"一生一緒に遊んでくれよ"って言ったの結構すごいことだと思いません??まず、その一生って言葉がふうまにとってものすごく重みのある言葉なのと、あと"遊ぶ"って言葉も、あの合宿のとき健人が言った遊ぶは本当にただ(プライベートとかで)"遊ぶ"って意味の方だったかもしれないんだけど、ふうまにとっての"遊ぶ"ってライブの最後によくまたあそぼーねって言ったり、今日のきゅあるでも、みなさんとまた楽しく遊べたらって言ったり、何だろう…もっと大きな意味を持つ言葉なんだと思うのよ。それを、健人に向けてあの時言ったの結構凄いなって今考えても思う、しそれってきっと昔から今までずっと変わってないんじゃないかな、って思うから尊い。こんな言葉で片付けられないけど本当に尊いです。ファンやSexyZoneに対しては言えないけど健人にだけは言えるんだな、って。それを言える相手が風磨にちゃんといるんだなって。言えるほど信頼してるんだろうな。この人だけはきっと絶対離れることはないって確信してるんだと思う、おそらくお互いに。だって一生一緒なんて綺麗事なんだよ、実際。特にここ一年の色々で本当にみんな散々思い知った。でも風磨はこれからも当たり前のように健人の隣を歩き続けるんだと思うし、健人も息を吸うように風磨の隣に居ることを選ぶんだと思う。出会った頃は大人の手によって勝手に運命にされた2人だったのに、今は隣にいることを自ら選んで行くようになったこのシンメがわたしは世界で一番強いと思ってるし美しいと思う。
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