旅行が好きになるまでの話

登山時代

中学生の時に自分の好きなこととして「登山」と書いたことがある。本格的なものではなく、最寄りの山(大山、標高1252m)に日帰りで登ったりするのが好きだった。
これは高校まではまっていて、自転車で20km走り、登山口まで行って、そこから登山するのが定番コースとなっていた。
清涼な山の上で汗流すのは最高に気持ちがよかった。


サイクリング時代

登山は部活としてもやっていて、サバイバル感がとても楽しかったが、登山は移動速度が遅いという一面もある。もう少し刺激がほしい自分にとっては、より速さを求めるため高校の時にサイクリングにはまるようになった。
自転車もスポーツタイプに買い換えたのもこの時。一目惚れして買ったクロスバイクは大切に使って、10年経った今も愛車として乗り続けている。

定番の目的地は3種類あった。

① 江ノ島・鎌倉
往復30~35km。毎日の通学で20km走っていたので、この程度は散歩みたいなものだった(当時の体力どうなってんの…)。鎌倉の寿福寺に行くのが好きだった。学校から近いから学校帰りにも行ける。

② 小田原・三崎
往復70~90km。これが一番ちょうど良い距離だった。友達にはサイクリング勢が多かったのでよく土日に出かけ、三崎で丼を食べたり城ヶ島を探検したりして楽しかった。定番中の定番は小田原で、つまり箱根駅伝のルートは実家のような安心感。サイクリング勢は全員湘南エリア在住なので(そもそも学校が湘南エリア)こっち方面は一緒に行きやすかったのもある。

③ 熱海・箱根・御殿場
往復120~130km。小田原より先は3つのコースが選べる。熱海と御殿場は崖っぷちの狭い車道を走るので限界になりやすく疲労が大きい。箱根は対照的に空気が綺麗で清々しいが、標高800mまで登らないといけない体力勝負。

④ 例外:横浜・東京方面
距離はそこまでだが、都会を走るのは車が多い・歩行者多い・信号多いの三大困難があるから時々しか行かなかった。

津久井湖方面もほとんど行かなかったけど、高2の時に山梨県に入ってみたことはある。
その時は夕方が迫ってたから上野原市で引き返したけど、隣を走る中央線を見て、あれに乗れば甲府とかもっと遠くまで行けるのか…とふと思って調べ始めた。
これが旅行に出会ったきっかけだった。


旅行~青春18切符時代~

鉄道での旅行について調べているうちに、青春18切符の存在を知った。17歳なのでちょうど想定された利用者層だったと思う(?)。
特に興味を持ったのはフェリーだった。図書館やネットで調べているうちに、何も知らなかった状態から、日本には数多くのフェリーが就航していることを知り、特に瀬戸内海は魅力的だった。例えば八幡浜から臼杵のフェリー。時刻表で乗り継ぎながら、旅をしてみたいとか思った。

春休みは18切符旅の醍醐味を味わい尽くして、世界が無限に広がった気がした。親に連れられる以外で県を出る機会は無かったところから、県や地方すら越えて自由に旅ができるというのはすごい刺激だった。青春18切符って名前だけある。

高3の夏休みは、友達から「俺のおばあちゃん家に一緒に行こうぜ!」と誘われ、ムーンライトながらに乗って兵庫県まで2泊3日の旅に出た。受験生なので2人とも単語帳持っていったりして、すきま時間に勉強してた。帰りは台風が直撃して大変だったけど、近鉄の振替輸送を利用したりして帰ってこれた。


旅行~キャンプ時代~

受験でしばらく旅行は中断していたが、再開したのは大学1回生の夏休みだった。
高校生の時にフェリーとか鉄道とか調べて世界が広がったと書いたが、その時に一番憧れていたのは鹿児島県の指宿だった。なぜかは分からないけど、日本本土の果てという点でロマンを感じていたんだと思う。

ということで目的地は指宿となった。

今回は一人旅で、期間は3週間。
大学生になってバイトを始めたから使える金額も増えた。
とはいえ宿泊費を節約するため、登山時代に慣れたキャンプをしようと思いテントも持ち運ぶことにした。

小倉からはじまり、九州を南下して、いろんなハプニングや出会いがありながら──熊本でヒッチハイクしたり、
乗る予定の1日3本しかないバスが発車してしまい走ったら追いついたり、
知り合ったおばあちゃんと年賀状のやりとりをするようになったり、
宮崎で知り合ったキャンプ客に一緒にログハウスに泊めてもらって道の駅で買った地元食材で料理を作ってあげたり夜遅くまで語り合ったり、
また宮崎の別のキャンプ場では知り合った同年代のツーリングの人と鍋を囲んだり、
地元の物産館の理事長から巨峰をプレゼントされたり、
食堂のおばあちゃんにこれも食べろとサービスしてもらったり、
鹿児島ではキャンプ場のオーナーに一緒に芋焼酎飲もう!と言われたり(18歳だが)(結局ノンアルコールビールを差し入れとして頂いた)(銭湯で仲良くなった地元のおじいちゃんに差し上げてしまったけど)
……なんかお世話になってばっかりだったけど、九州の人たちにこれ以上なく可愛がってもらって、これが今までで一番思い出に残ってる旅行になった。

2回生の夏は長野・新潟にもキャンプ旅行をした。だいたい上と似たような感じだった。と同時に、東日本と西日本、海の地域と山の地域のように対照して気づくことも多く、地元没入型の旅行の良さが感じられた。
新潟県中越には親戚がいて、小学生の頃は毎年遊びに行っていたのだが、東京で久しぶりに会った時に「今度遊びにきな~何泊でもしていいよ」と言われ、この時はお言葉に甘えて新潟県にも数日滞在してあちこち行った。その後も何回か新潟に行っている。

それから、小学校の時の友達と最寄駅で中学卒業ぶりに会って、その後なぜか一緒に海外にまで行く間柄になった。


旅行~地理時代~

Twitterを始めて、かくかくしかじかあって旅行・地理界隈があるのを知った。知り合った人と京都でオフ会したりもして、その人とは一緒に会津に行ったり親しくなった。
その人を起点に、いろいろな地理マニアと知り合った。日本地理について多くのことを学んだ。

世の中にはこんなに地理や旅行を極めた人たちもいるのかと驚いたし、SNSを通して全国の情報が入ってくるのは、アンテナを高くしておきたい自分にとって有意義な空間だった。

3回生になる直前には東北に行った。
きっかけは旅先で知り合った方に「東北に行こうと思ってるの?ならうちに来たらいい」と誘っていただいて、社交辞令かと思ったけど「一軒家だから泊まる部屋全然あるよ」と言われたので行くことに。
余所の家に行くのは緊張するけど、良くしていただいていろんな話も聞けたし、向こうの家族との関わりは本当に心に残っている。

そして遠野に行ったことは自分の価値観を変えた出来事だった。
それまで日本の地域文化の比較には興味があって、高校の卒論(なぜかあった)では「日本の地域文化の比較」という題名で書いていた。
民俗学の聖地・遠野では、それまで知っていた「日本」なるものとは明らかに異質な民俗文化を見た。日本は一つじゃないと確信したきっかけだった。それ以来「日本とは何か」というテーマを探求したいと思うようになった。


旅行~韓国時代~

それまで関心は国内だけだったけど、2回生の時に韓国に行ってから、この国の魅力にはまった。
そして大学を休学して留学した((勢い))。大学時代のうち1年間を韓国で過ごしたため、自分にとって韓国は第二の故郷だと思って愛している。韓国語は下手。

現時点で人生で一番の思い出を聞かれたら、韓国で過ごした日々のことを挙げると思う。
それほど忘れられない思い出ができたなら行って良かったといえるだろう。
あと現地ではずっとバンドで何らかの楽器をやっていた。
遊ぶ時間が全然無かったので韓国国内の旅行は少ししかしてない。これからやっていきたい。

韓国の何に魅力を感じたのか言語化するのは難しいけど、一言でいえば日本の隣国だからということに尽きると思う。
日本を知るために欧米と比較したら、全てが日本特有に見えてしまうが、実際のところは大部分が東アジアと共通している。東アジアと対照した上で日本ならではのものがあれば、日本の特徴といえるだろう。
日本という国を理解するには、韓国を鏡のように見ることで見えてくるものがあると思う。

それから韓国人の性格も面白かった。

日本人は「親しき仲にも礼儀あり」をモットーに(?)、他人との一定の距離感や壁があり、常に他者を不快にしないように神経をすり減らして生きている。街は清潔で、接客する人はいつも笑顔。

一方韓国では、初対面でも相手のプライベートに首を突っ込むし(在韓日本人が苦言を呈しがち)、遠慮は美徳どころか悪だし、バスの運転は暴走車だし。席に困ってる人がいれば他人でも声をかけて空いてるところに座らせる。感情は表に出しがち。家族愛の深さ。

……など、あの国には良い面も悪い面も含めて不思議な魅力がたくさんあった。

自分は感情を出すのが苦手な人間だった。
物をもらっても「ありがとう」と言う前に申し訳ないとか言って断ってしまうようなひねくれた人間だったけど、遠慮が悪となる国・韓国ではそんなのは通用しないから、それで自分も鍛えられてだいぶ変わったと思う。
韓国では感情を素直に表現することを学んだ。

「インドで人生変わった」とかネタ化した構文があるけど、自分は韓国で人生に大きな影響を受けたと思う。


旅行~欧州地理時代~

禍に入り旅行はしづらくなった。
それでも全国旅行支援などがあり却って旅行に行きやすくなる面も。旅行支援は3回使うことができ、本当に感謝…🙏

そういえば2022年に九州に行った時は、クーポンの消費の仕方が難しくて結構苦戦した。クーポンはその県で翌日までしか使えないから、翌日朝早くに他県へ移動する場合はよく考えて使わないといけない。でもそのドタバタのおかげで旅のスリルが増して楽しませてもらった。

禍の最盛期は地理クイズの作問を楽しんだ。そこで出会った人たちがいまの絵文字勢(内輪しか読まないことを想定してるのでこう書くけど)なので、ここでもまた多くの人と関われて有意義だった。人生何があるか分からん。

禍の間はヨーロッパの地理のマイブームが来ていたので、特にイタリアに興味を持って地理・歴史・文化などが好きになった。いつか行ってみたい。


サッカー時代

ヨーロッパを知るためにはまずサッカーを知らないといけないと思い、サッカーについて調べてみた。

サッカーはワールドカップの時だけ見るにわかだったので何も知らなかったけど、配信サービスは何があるのかとか自力で調べながら、最初は訳が分からないまま観戦していたら沼にはまってしまった。

その中でも特に好きなのはイングランド・プレミアリーグで、アーセナルというチームのファンになった。きっかけはアーセナルがロンドンの下町のチームだから(東京の下町の生まれだから肩入れしたくなった)。まだ3年目なので勉強することばかりだけど非常に面白い。

こうして旅行を趣味としている時代は終わったが、かといって終わったわけではないし、熱中という形ではないけど一生続けていくと思う。

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