男磨き界隈の本質は「他者への見下し」である
先日こんなポストが話題になった。
いしいさんの「東大卒の女が周りを見下していて心底軽蔑した」という投稿に対するドグマさんの引用ポストである。
この投稿を見て僕は「これぞまさに男磨き界隈の本質だな」と思った。
指摘している人は少ないが、男磨き界隈のモチベーションの根本は「他人を見下すこと」である。
今回はそんな「男磨き界隈の本質は他者への見下しである」というnoteを書いていく。
前回「男磨き界隈はトランスモテ男の集まりである」というnoteを1万文字以上も書いたが、そこでも書ききれない内容があったのでこのnoteに書いた。
↑のnoteで書きたくても話題が広がりすぎて収集がつかなくなりそうだったので、あえて書かなかったテーマについて今作では触れている。
本noteも例によって4割ほど無料で読めるので無料部分だけでも楽しんでいってくれたら嬉しい。
男磨き界隈は他者を見下すために努力している
結論から言うと男磨き界隈は「他人を見下すために努力している集団」である。
彼らの動力源は将来成功した時に他人を見下すことにある。
そもそも現時点ですら色んな人を見下しまくっているので、将来成功した時には周囲をより一層見下すのは至極当然の流れと言えるだろう。
男磨き界隈に対して「自分を高めて魅力的な男になるために努力しているストイックな男の集まり」みたいなイメージの人もいるかもしれないが全然違う。
それはあくまで上辺だけで、彼らの根底にあるものは「努力して突き抜けた存在になっていつか他人を見下したい」という歪な優越感によるものだ。
そのくらい彼らにとって「誰かを見下す」ということが男磨きのモチベーションになっているのである。
しかしこんなこと言うともちろん彼らは反発する。
実際似たようなことを僕がポストした時に男磨き界隈の人から噛みつかれたことがあった。
これを見て「あぁ、やっぱり無自覚なんだな」と僕は思った。
恐ろしいことに男磨き界隈の人たちはそもそも自分が誰かを見下しているということに気が付いていないのだ。
確かに男磨き界隈で努力している人たちは「自分を変えたい!」という気持ちから、時に刺激し合って頑張っている。
効果があるかどうかは別として、上記の男磨きをストイックに行い「レベルの高い男になりたい」という彼らの思いは本物だろう。
その思いをウソだとかニセモノだとか否定してバカにするつもりは全くない。
自分を高めたいと思う気持ちや、実際に行動して努力すること自体はとても素晴らしいと思う。
しかしその一方で彼らは自分たちが無意識に抱いているドス黒い感情に気が付いていない。
言うまでもないが、そのドス黒い感情の正体は「他者への見下し」だ。
そう、男磨き界隈は自分たちが他者を見下していることに気が付いていないし、それが原動力になっていることにも気が付いていないのだ。
だから周囲から煙たがられたり反感買ってる理由が本気でわからないのだ。
こんな風に思っている男磨き界隈の人も多いと思う。
だけどこのギャップに無自覚でいる限り、彼らは成功者や突き抜けた存在になるどころか人に好かれることすら難しいだろう。
それもそのハズで誰だって自分のことを見下してくるような相手なんか好きになったり応援なんてしたくないからだ。
とはいえここまで書いても「俺は他人を見下してなんかいない!ストイックに頑張っている!」とお思いの方もいることだろう。
しかし客観的に見た時に、男磨き界隈は擁護できないレベルであらゆる人たちを見下している。
その証拠をどんどん書いていこうと思う。
本noteが伝えたいこと
「人を見下すのはよくないことだ!だからそんなのやめるべきだ!!」みたいな綺麗事を書くつもりは一切ない。
僕だってこれまでの人生で誰かを見下して生きてきたし、今これを読んでいるあなたも誰かを見下したことがあるだろう。
どんな聖人であっても、誰のことも見下さずに生きてきた人間なんて存在しない。
もちろん誰かを見下すということはあまり良くない行為だが、人間社会で生きている以上必ず発生する。これは避けようがない。
しかしあまりにも色んな人たちのことを見下しておきながら「俺たちはストイックに努力している!その辺の雑魚と一緒にするな!」みたいな発言をするのは間違っていると思わないだろうか?
それに自分のあまりにも極端な物差しで色んな人を見下していることにまったく無自覚なのもどうかと思う。
そんな疑念から本noteを執筆した。男磨き界隈に所属している人だけでなく、副業や筋トレや就活などいわゆる意識高い系に所属している人たちにもグサグサ刺さる内容になっている。
心痛むかもしれないが、ぜひともそうした方々こそ手に取って読んでもらいたいと思っている。
周囲の男と差をつける
男磨き界隈が大好きな言葉がある。それが「差をつける」という言葉だ。
男磨き系アカウントで「差」と検索すれば必ずと言っていいほど「差をつける」という言葉が出てくるほどだ。
単純に「周囲の男と差をつける」という言葉もそうだが、上記のような言い回しにも非常に刺さる。
とにかく男磨き界隈の人は「周りの男と差をつける」という言葉にめちゃくちゃテンションが上がる。
特に「みんながゲームしたり遊んでる間に自分だけこっそり努力して突き抜けた存在になりました」みたいなストーリーが大好きだ。
あとは「華金でみんなが生産性のない飲み会に参加してる間に自分だけ努力して差をつけろ」みたいな投稿も人気がある(これはビジネス界隈にも言えるが)
だから男磨き界隈のインフルエンサーたちは狙ってこうしたポストをしているし、今日も男磨きアカウントたちは「周囲の男と差をつけるぞ!」と息巻いて男磨きに励んでいる。
しかしここである疑問が浮かんでくる。
なぜ彼らは周囲の男たちと差を付けたいと思っているのだろうか?
それは根底には「周囲から抜きんでた存在になってそいつらを見下したい」という虚栄心があるからだ。
それに加えて「周りはバカで雑魚ばっかだけど俺はコイツらとは違う!」という歪んだ選民思想もある。
その証拠に彼らの発言には必ず「周りの男は雑魚ばかり」とか「みんなボケーっとしてる」と言う周囲をこき下ろす発言がセットになっている。
そう、男磨き界隈は普段からあらゆる男たちを自分の勝手な基準で品定めして「コイツは何も頑張ってない雑魚だ」と見下しているのだ。
だから9割の男は雑魚ばかりとかワケのわからない発言を繰り返して平気で他人を見下している。
そのクセ自分が誰かを見下していることに無自覚なのだからタチが悪い。
それと当たり前の話だが周囲の男が雑魚だらけに見えるなら、目と頭がおかしいから病院に行った方がいい。
ある程度の年齢になれば、一見何も考えてなさそうに見える人にも実は重たい過去があったり仕事や私生活で何か抱えているということがだんだんわかってくる。
何も背負わずに生きている人間なんていないのだから。
そんなことすらわからずに、街で歩いている人を見かけただけで「努力習慣のない雑魚」とか言えちゃうのはあまりにも視野が狭すぎる。
そうやって他人を見下してばかりいると、そういう態度は自然と相手にも伝わってしまう。
隠してるつもりでも隠しきれない。だから男磨き界隈の人たちは多くの人から失笑されたり相手にされなくなっているのだ。
なぜ男磨き界隈は色んな人を見下してしまうのか?
ここまでの話をまとめると
というロジックの下、彼らは男磨きなどの努力を頑張っている。
確かに大谷翔平選手やローランド氏のようにその世界で突き抜けた存在になって、他人を見下すのは気持ちいいかもしれない。
「俺はこんなに努力したから成功したんだ。お前らは全然努力が足りていない」
いつの日かこんな説教をしたい。成功して他人をもっと見下したい。
誰の心の中にもこうした虚栄心はあるが、男磨き界隈にはそれがあまりにも強すぎる。
実際男磨き界隈には大谷翔平選手やケイスケホンダでもないのに、あろうことか彼らのフンドシ使って説教してくるアカウントさえあるほどだ。
書くともうキリがない。とにかく男磨き界隈は色んな人たちを見下している。
しかしなぜ男磨き界隈はこれほどまでに色んな人をナチュラルに見下してしまうのか?
それはもう単純明快で
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