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近所と私

どこでも住めるとしたら、私は近所同士のコミュニティがある、田舎だけど都会から遠くない場所が良いと答えるかもしれない。具体的な場所はない。ただ日本が良い。海外はお腹いっぱい。

この場所の状況は、完全に私の実家である。私の実家は集合住宅の一角の家である。集合住宅なので、皆家を建てた時期は同じ。築年数は一緒なのである。そしてそこに住むのもまた似たような家族になる。

このおかげで私の家族は、近所コミュニティを持っている。私にはこの集合住宅で幼馴染が二人いる。小さい頃はその集合住宅にある道で遊んでいた。そこで幼馴染と遊んでいると、その集合住宅にいる私より年が上のお兄ちゃん、お姉ちゃんが遊んでくれる。私はその空間が大好きだった。
こんなコミュニティがあったからこそ、秋には必ず町内運動会というものが催された。そこで毎年走ったり、競技に参加したりした。運動会が終わると町内でお疲れ様会をする。毎年、深夜12時を超えるまで、近所のみんなと遊ぶのだ。それが楽しかった記憶は忘れられない。

しかしながらこの経験を友達に話すと、すごいねと言われる。私はこのようなコミュニティをみんなが持っていると思っていたが、そうではないらしい。都会の友達が言うにはレアケースだと言われた。その時の衝撃は言葉では言い表せないほどだった。

今でも、実家に帰ると近所の人がおかえりと言ってくれるし、今の近況を聞いてくる。それが私は嬉しい。まだ繋がっているのだと思える。この繋がりは大事にしたい。両親以外にも見守ってくれた大人がいることを忘れたくはない。昨今のニュースでは、このコミュニティが薄れているが故の悲しい出来事が放映されている。近所で子ども見守るというものが無くなってきている気がする。私が幼稚園の頃、両親に予定が入った際には近所のお兄ちゃんの家によく預けられていた。そういうものが最近は無くなっているような気がする。

だからこそ私は自分が育った環境のような場所に住みたい。他人だけど、他人じゃない。こんな雰囲気がある近所のコミュニティがある場所に住みたい。


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