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短歌との出会い

檸檬の投稿は今のところほぼ短歌なのですが、なぜ短歌を作るようになったのかについてどうしても多くの人に知って欲しくて書くことにしました。
母方の祖父が先日亡くなりました。老衰で、穏やかな今にも起きておはようと言ってくれそうな顔でした。祖父は昔から多才な人で、油絵に水彩画、粘土や彫刻、そして同人誌(まだ昭和の頃からあったのですね)で文章を書くなど様々な芸術面の作品を淡々と創る人でした。一等思い出深いのは、かなり大きなサイズの祖母の肖像画。油絵です。とても祖母そっくりな上にどこか愛を感じるその作品を祖母も大いに気に入り、リビングに飾ってありました。来客がある度に祖母はその絵を自慢していました。そんな祖母を見て照れたように笑う祖父が好きでした。
70歳を過ぎたあたりからでしょうか。大掛かりな作品を創るには歳をとり過ぎたという理由で祖父は短歌を詠むようになりました。毎朝の散歩で思いついたネタを書き留め、毎週木曜日に短歌を3首書いたハガキをポストに投函するのが習慣でした。地元の新聞に定期的に定期的に掲載される常連さんになるくらいには祖父の短歌は上手なものであるようでした。生前の祖父に何度か短歌を書き連ねたノートを見せてもらったことがあります。5首ごとにまとめられた短歌の上には、日付の他に投稿した物には〇、新聞に掲載された物には◎が付けられていて、祖父の几帳面な性格が伺えるものでした。毎朝の散歩で思いついたことを詠んでいるせいか、ふとした瞬間の景色の美しさについての歌が多かったように思います。
そんな祖父が亡くなって親族で祖父の部屋を整理していた時のことでした。親族の中で一番祖父に懐いていた私は祖父の短歌纏めノートを誰よりも見ていたので。祖父の書きかけのノートの他に過去に綴った物が纏めてあるノートを何冊も見つけました。基本的に新聞に載った歌しか見てこなかった私たち親族は、新聞に載らなかったり投稿しなかったりしたものはどのような作品なのだろうね、と祖父を懐かしみながらノートを開きました。

そこに載っていたのは溢れんばかりの祖母への愛を詠んだ物ばかりでした。祖母との日常の一コマ。祖母が弾くピアノを聴いて感じた想い。認知症になった祖母がそれでも愛おしいということ。祖父が無くなる前日に作った短歌は、深夜ふと起きた時に祖母の寝息が聴こえてきて、嗚呼生きているとほっとした心情を詠んだ歌でした。照れ屋だった祖父は、祖母への想いを詠んだ短歌のほとんどを新聞に投稿すらしていませんでした。祖母は認知症ながらも祖父のことだけは覚えていて、泣き笑いで嬉しいわぁお父さん、と何度も繰り返しました。その光景を見て、短歌を作ろうと思ったのです。祖父の部屋に入り、祖父が使っていた鉛筆と祖父が短歌を下書きするのに使っていた紙に。祖父への想いを詠んだ短歌を出来たての仏壇に備えました。それが、私がはじめて作った短歌です。祖父が投稿していた新聞社に短歌を投稿するようになりましたが未だ乗ったことがありません。常連さんだった祖父はやはり短歌の才がある人だったのだなあと思います。祖母へ定期的に各手紙にも短歌を添えています。祖父との思い出を懐かしんで欲しくて。

ここに投稿している短歌は祖父や祖母を意識せずむしろ親族には絶対に見せないつもりの作品ばかりなのでだいぶテイストが違いますが、ふと思いついてメモする時間が楽しいのは祖父に似たのかなと思ってとても嬉しくなります。


どうしてもみんなに知って欲しかったのは、後悔しているからです。祖父が生きている間に短歌を作るようになれば、もっとコミュニケーションをとれたのに。祖父にも私の作ったものを読んでもらえたのに。だからもし、この文章を読んでいる方で、おじいさまやおばあさま、高齢のお父様やお母様がいらっしゃる方が居れば。是非、生きている間に一緒に趣味を楽しんで欲しいです。それは、かけがえのない宝物になると思うから。亡くなってからだともう届けられないですからね。


少しでも多くの人々が後悔なく生きれますように。


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