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夏は瞬く間に溶けていく

「9月になれば─」
何か気分が変わるかもしれない、とは
「八月のカクテル光線」(山際淳司 1985年 ) の一節である。夏の甲子園で箕島との延長の末破れ去った星稜ナインがいつまでも夏を引き摺らない為に必要な言葉だったのだと思う。
なぜこの短編を思い出したかというと、バスで妻のもとへ向かうまでの道中、美しい高速道路の照明に目を奪われたからだ。
道路照明と甲子園のカクテル光線が何故リンクしたのかは分からないがそんなことはどうでもいい。

そんなことを考えていく内にまた一つ夏が終わっていく。
かつては誰もが主役だったはずの季節は失せ、あまりに現実的に生きすぎてしまうことがきっと、大人になら誰にでもあるはずだ。

夏…
大人にとって、あの暑さにはどんな意味があるのだろう。

学生選手権

自分にとって夏の始まりを告げるのは学生選手権だ。
その茹だるような熱の中に、かつて自分も身を晒した。だがあの暑さの中に、もうコミットしていくことは出来ない。
しかし、あの場所はいつだって新しいヒーローと、そしてヒロインが生まれる場所だ。
そういう意味でとても健全な大会だったと思う。
遠方から参加された方々のご活躍も拝見させて頂きました。
慣れない土地で、慣れない環境で…
いつもアンフェアだと思うのだが「来年は北大生で会場を埋め尽くしたい」とは北大主将談。

最高かよ、オレぁ感動したよ。

立教大学に限って言えば団体戦四連覇。これは矢野主将の力に他ならないでしょう。
最上級生が自分1人で、しかもコロナ禍で。
それでも強いチームを作ってくれました。

軸となる人材をきっちり長期間活かす、というのは簡単な様で難しい。
きっと葛藤もあったでしょうが1年間チーム方針がぶれなかった、ぶれさせなかったのが凄い。

昨年の秋、新チーム始動からのハイライトを見たような大会でした。

次の夏は果たして…?

伊勢神宮へ

別れは突然やってくる。
早すぎた別れに心の整理を付ける間もなく、予定していた伊勢神宮へ。
「式年遷宮」ってマジなんだ、と年表を見て思う。戦国時代、確かに100年単位に飛び飛びではあるが継続されているのが凄い。

優しい人だった。そして海の様に広く大きい人だった。今も脳裏に浮かぶのは屈託のない笑みを浮かべる髭面の親分だ。

「廃部寸前の合気道部を、3年で学生選手権三冠に導く」3ヶ年計画(2016-2018)は我々からすると夢物語であった。私たちは8人、同期がいるが仮に部員がゼロだった際はマジで廃部だったらしい。
ましてや「学生選手権」は当時2年生の僕は1回も勝てず、決勝戦は魔境にしか見えず優勝なんて到底無理だし、口に出すことすら烏滸がましい、そんなハイレベルな場所だった。

そんな「夢」を彼の下で主将として追いかけ、そして実現出来たことは、本当に幸せなことだった。
「大西-豊嶋」の名コンビの下で思い切り羽を伸ばして暴れまくった僕は「誰かに」見守られる幸せを知ることが出来た。

だけどその親分も、もういない。

「限りあるものを繰り返して、永遠にする」
式年遷宮にはそんな意味があるそうだ。

命には限りがある。だけど、続ける人がいればそこには意志が宿り、力が生まれる。そんな風に感じた。

シンプルに、いい言葉だなと思った。

20大学合同稽古

5年ぶり…だよね?
だって前来た時、俺学生だったもん。
慶応の姿勢作りに始まり早稲田の隅落とし、「あーこんな感じだったな~!」とウキウキしながら各大学の演舞を見ていましたが学校紹介アナウンスは「コロナ禍では廃部の危機となり…」を連呼。実際の参加者も以前に比べて減ったような気がした。
そう思うとコロナ禍でも部員をむしろ増やした立教の学生たちがとても誇らしかった。

え? お前何で平日の、しかも月末に暇なんだって?
…うるせえ! いいんだよ!

もう夏が終わるんだな…と思っていたら突然目の前に夏合宿がやってきた。

突然ですが、
いちばん好きなものは最初に食べますか? 
それとも…やっぱ最後だよね?


おしまい




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