「ヤッターマン」と「ヤッタナマン」

わたしは映画が好き。映画部なるものを立ち上げて、先日、今年観た映画🎬について熱く🔥語り合った。
 
メンバーのうちのひとりが深田恭子ファンで、主演映画『ルパンの娘』が良かったと語っていた。深キョンの話になり、深キョンの実写版『ヤッターマン』でのドロンジョ役がすっごくハマっていたとのこと。
 
早速、YouTubeで観てみたが、ほんと!色っぽくて可愛いドロンジョ💕
 
わたしは、子ども時代にテレビでアニメ版を観ていたので、とっても懐かし気分にもなった。ヤッターマンが勝負に勝った時のセリフ「ヤッター、ヤッター、ヤッターマン♪」っていうのも思い出した。
 
そのセリフがまだ脳内に生々しく残っている翌日、「ヤッタナ」の話をラジオで聴いた。
 
わたし、ラジオ大好き。
ラジオアプリ、AuDee(オーディー)の番組『夜のまたたび』が大好き。同番組は、月2回更新の、作家の燃え殻さんとAV監督・作家の二村ヒトシさんが仲良しトークを繰り広げるもの。

12月2日の回のトークは、これは、神回です。全部聴いてほしい。燃え殻さんの尿の切れの話や映画『空白』の吉田監督作品についての話からの、燃え殻さんの「ヤッタナ」の話。(42分位から始まります。)
 
「ヤッタナ」の話は、最初聴いた時に、何だか涙が出てきた。それは、わたしが「ヤラナイ」のひとだから。気になって、それこそ、5回以上聴いた。さらに、文字起こしまでしちゃった。
 
燃え殻さんは、小説書いたり、その小説が映画化されたりと人気作家。勝ち負けという表現をすれば、勝った側のひと。その燃え殻さんが語ったのは、「勝った負けた」ではなく、「やったかやらなかったか」のお話。勝った負けたの視線で世の中で評価されようとも、自分の中に残るのは、「やったな」しかないと。
 
やった側の燃え殻さんは、言う。やってないひとには、「やってないな」って残る。その場合は、「やったら勝てたのに」って残る。そして、「無残に負けたかもしれない」とも思って二度病む。これがいけない。負けるときはきれいに負けりゃいいし、勝つときはきれいに勝つ。そこで、「きれいに勝ったな」「きれいに負けたな」とは、思わない。ただ、「やったな」が残ったら、ひとは次に行かれる。別に次に行かなくてもいい。それで、いい。
 
とにかく、「やったかやらないか」。やらないわたしには響いた。
ニュアンス、伝わったかな。ラジオを聴いてみて下さい。是非。
 
わたしは、この話をしばらくは繰り返し聴くし、文字起こしした文章も何度も読む。
わたしは、ヤッターマンならぬヤッタナマンになるよ。うん。

#カウンセラー

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