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眞子さまのお誕生日(1日過ぎてます)に、皇室問題について考えてみた

 皆さんこんばんは!
 Lemonと申します(*‘ω‘ *)

 連日、マスコミを賑わせている眞子さまの結婚問題―

 色んな考えがあると思うんですけど、進展が気になりますよね(´・ω・`)

 記事タイトル:眞子さまのお誕生日にって書いたんですけど、書ききれなくて、1日過ぎてしまいました(-_-;)

 基本、僕のnoteでは発達障害とかADHDをテーマにして、関連するトピックを扱うことにしているんですが、ちょっと個人的に関心のあるトピックだということもあり、書いてみることにしました。

 発達障害とは全く異なるのですが、僕の社会派ライターとしての才覚も発揮したいな~と思い、ちゃんと真面目に書いてみたいと思います(*’▽’)

 この問題―

 すごくデリケートな内容だと思っています。
 ネットを中心に、誹謗中傷で炎上しているような状況も見受けられますし、眞子さまも精神的に参ってしまっているとの報道もあります。

 ですので、僕なんかがnoteで扱かってよいのかどうか非常に迷いましたが、今回の眞子さまの結婚問題と皇室問題って、今の時代に国民が考えるべきとても重要なトピックであるとも思いましたので、敢えて書いてみようと思います。

 ちなみに今回の皇室問題―

 眞子さまの婚約相手である小室さんサイドや、(宮内庁含む)皇室サイドに対して、激しい言葉での誹謗中傷がなされています。今回の件では、小室さんサイド、皇室サイドともに一定の批判を受けることはやむを得ないと思いますが、口汚く、激しい言葉を使って誰かを追い込み、傷つける誹謗中傷には、私は断固反対です。批判するなら批判する側も自分の言葉に責任を持つべきですし、批判する際にも最低限の流儀を持つべきだと思います。

 前置きが長くなりました(´・ω・`)…
それでは、いくつかポイントごとに、今回の皇室問題について問題を整理してみたいと思いますので、どうぞご覧ください!!


眞子さま結婚問題の概要

 眞子さまの結婚問題についての経過は下記のとおり。

・2017年9月「婚約内定会見」
・2017年12月「小室さんの母親の借金問題発覚」
・2018年2月「結婚延期」
・2018年8月「小室さんニューヨークに留学へ」
・2019年1月「小室さん 借金問題への説明文書公表」
・2020年11月「眞子さん 小室さんとの結婚は必要な選択」
・2020年11月「秋篠宮さま 2人の結婚を認める」
・2021年2月「小室さん、眞子さまの結婚への天皇陛下のお言葉」
・2021年4月「小室さん 28枚の説明文書を公表」
・2021年5月「小室さん NYロースクール卒業」
・2021年9月「小室さんと眞子さま 年内の結婚&NYで暮らすことが発表」

 眞子さまと小室圭さんの婚約内定会見が開かれたのは2017年9月のこと。当時の2人の幸せそうな顔を覚えている方も多いだろう。そこから4年の月日が流れ、まもなく婚姻届が提出されようとしている。眞子さまの結婚問題は最終版を迎えているわけであるが、依然、国民感情としては祝福ムードとは程遠い。その理由として挙げられるのが、小室さん側の借金問題だ。
 借金問題とは母親と母親の元婚約者の間での借金とのことであるが、小室さんも元婚約者の男性との交渉の席についており、母親同様にこの問題の当事者である。小室さん親子については、この問題を巡って世間からの批判に晒されているわけだが、国民に対しての十分な説明ができていない現状では批判されるのもやむを得ないだろう。また、眞子さまが皇室を離脱する身とはいっても、借金問題を抱える小室さんは、結婚相手としてふさわしくないという指摘は至極当然といえる。


そもそも日本の皇室って

 日本の天皇家は世界的にも非常に古い歴史を持つことで知られている。現在、世界には26もの王室が存在しているようだが、このうち最も歴史の長い王室が日本の天皇家であるという。ちなみに「日本書紀」などに記載があり、初代と伝えられるのが神武天皇である。初期の天皇については神話の域を出ず、存在自体を疑問視する声が多いが、西暦507年に即位した第26代継体天皇からは実在する天皇としての記録が残されているようだ。

 日本の天皇家が古代から現代に至るまで脈々と継承されている一方で、世界各国に目を向けてみると、多くの皇室(帝室)や王室は、軍部のクーデターや、国民や外敵に追放されたり、処刑されたりといった悲惨な終わり方をしている例が多い。日本においても戦後に、昭和天皇の処刑が検討されるなどの危機に瀕したことはあったが、結果的には、国民の象徴として、非常に高い支持を集めて今日まで継承されてきた。

 現代において、日本の天皇の役割は、「日本国および日本国民統合の象徴」(日本国憲法より)としての務めを果たすことである。これは天皇や天皇家の立ち振る舞いだけでなく、日本国民の天皇への思いがあってこそ体を成す体制であるといえる。

 平成の時代に当時の天皇陛下であった明仁親王が、大規模災害が起こる度に被災地を訪れ、避難所などで被災者と積極的にコミュニケーションを図ってきた姿は印象的だろう。ひざをつき、目線を合わせて語りかける天皇陛下(当時)の言葉は被災者を勇気づけ、感激のあまり涙を流す人も少なくなかった。天皇陛下の国民の拠り所としての存在感、天皇陛下へのある種の信仰心のようなものが感じられたものである。

 被災地訪問に代表されるように、明仁親王は国民の象徴としての務め、在り方を常に研究・模索してきた。そして象徴としての理想像、完成形を示したように思われる。
 だが、これも天皇のたゆまぬ努力と、国民感情、社会情勢がセットになってこそのことー。天皇が象徴としての役割を全うし、国民が支持する。また、国民が心の拠り所として天皇を必要とし、天皇が象徴としての姿を示すー。この不可分の相互関係があってこそ、天皇家は存続できるのである。


秋篠宮家への批判

 今回の眞子さまの結婚問題をめぐっては、秋篠宮家や眞子さまも誹謗中傷に晒されている。行き過ぎた人格否定や激しい誹謗中傷には断固反対の姿勢であるが、秋篠宮家として、眞子さまの結婚に対して国民への十分な説明に欠けている部分はあるだろう。

 また、眞子さま、佳子さまは皇室からの離脱や自由な生活を強く望んでいると伝えられているー。
 そして、お2人のこうした思いに対しては、現在の立場的には皇室としての立ち振る舞いが求められている立場であることから、自覚に欠けるのではという辛辣な批判がある。

 非常に古い歴史と伝統を持つ天皇家であるだけに、このような批判は的を射ているとは思うが、眞子さま、佳子さまも当然1人の女性である。

 同世代の友人たちが当たり前のように楽しんでいる旅行やパーティーなどへの参加も、立場ゆえの制約を受けてきたことだろう。

 また、インターネットの普及もあり、皇室の人たちにとって、世の中の刺激的な情報をいとも簡単に入手できるようになったという変化は劇的なものであったに違いない。従来のように、俗世間と隔絶させて、帝王学を叩き込んだり、皇室にふさわしい考え方や態度を徹底させられる時代でもないのではないか。

こうした時代背景を考えても、眞子さまと佳子さまに普通の女性になりたいという気持ちがあったとしても何ら不思議ではないし、むしろ自然なことだろう。

 お2人の身になって考えてみれば、皇室に生まれてしまったがために、生まれながらにして、人として当然の人権が制限されてしまっている状況と感じるはずであるー。


皇室の存続を考える時期に来ているのでは?

 今回の騒動は、多くの国民が反対する結婚が強行されようとしていることに対して、非常に大きな批判が寄せられおり、前代未聞のことといえる。

 多くの国民が反対する小室さんと結婚したいという強い意志を持つ眞子さまー。
 自由に生きたいという眞子さまの強い気持ちがある一方で、国民の支持あっての皇室である。実際に国民の税金によって皇室も賄われているのだから、皇室は可能な限り、国民の声に耳を傾けるべきであるという考え方もあるだろう。ここにジレンマが生じている。

 1人の女性としての自由な生き方と皇室女性としての生き方は両立し得ないのではないかー。
 また、眞子さまと佳子さまだけではなく、今後、皇室の人たちに自由を欲する人が現れても不思議ではない。

 自由に、普通に生きたいという当然の思いを最大限尊重すれば、皇室としての品位の保持や伝統継承が覚束なくなるし、国民が皇室に求める役割を果たせなくなる可能性もある。そうなると、皇室は国民からの支持を失い、途端に立場や存続が危うくなる事態を迎えることになる。

 今やタブーを度外視して、皇室の存続を国民的に議論するべきタイミングに差し掛かっているのではないかと私は考えるー。

 行き過ぎた誹謗中傷ではなく、タブーを度外視して国民的な議論が進んでいくことを期待したい。

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