もととなるもの

私には好きな事や趣味がたくさんある。
その中でも「読書」は物心がついた頃からの趣味であり、私と本を友人関係に例えるならば幼馴染と言えるだろう。

幼少期から誕生日やクリスマスプレゼントにはおもちゃではなく、絵本を買ってもらったり、絵本の文字を読むために平仮名ドリルを買ってもらい自主的に勉強をするほど、絵本が大好きだったと母から当時の話をよく聞かされた。

小学生以降は漢字を習い、読める字や読める字の量が増え、本の内容も理解できるようになり、さらに読書が楽しいと思えるようになった。長期休みには学校の図書館から数冊本を借りることができ、普段の貸出期間では読み切ることができないハリーポッターの小説を読んだこともあった。賞を取ったことはないが、読書感想文は嫌いではなかった。

中高生になると「朝読書」という時間があり、学校に好きな本を持っていって学校で読むことができた。本の続きが気になって授業中に読んで先生に叱られたこともあったが、私にとっては1日の中で1番好きな時間だった。
友達とうまく行かず一人寂しい休み時間も、読書をして過ごすことで気持ちを紛らわすことができた。
学生時代はとにかく様々な種類の本を読んだ。そこから得た知識は、勉強に役立つこともあり、考える力や想像力も読書によって身につけることができた。

「木」という漢字の中心線の部分のやや下寄りに短い横線で印をつけることで、樹々の根元を意味しており、これを日本では「ものごとのおおもと」という意味を表すことになったことが「本」という呼称の由来だそうだ。(Wikipedia参照)
また、「本」には書籍や書物を表す意味の他に、模範とすべきもの、もととなるものという意味もあるそうだ。(goo辞典参照)

自分自身もそうだが、大抵の人は身の回りの人から教わる事よりも、本を読むことで様々な事を学び、知識を増やしてきたのではないだろうか。
今までもこれからも、読書をすることで私自身の「もととなるもの」が作られていくのだと考えた。

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