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k子の故郷日記(4)

昭和19年10月31日 秋の陽ざしが此の6畳の茶間に入りこんで独居のま昼間は静かだ。 嫁いで6日。生活がまだ軌道にのらぬ故か、私はまるで胸に物のつかへた様な気持ちでいる。あんなに物を書く事を大切にし、何時生命の絶ちきられる時があらうとも唯一のたよりとしていた生命の記録をすらふりすてうる平々凡々の女、妻に私はなって了った。二十三年養はれた肉親の膝下を離れたった二人きりの生活。結婚はいろいろ考へさせられ教へられる事だ。 昨日、彼は初出勤、遅刻。   昭和19年11月3日 明治の佳

    • k子の故郷日記(3)

      昭和19年7月6日 正の体育検査、優なりしとか。一日毎の成長ぶり、そして知能のもの凄い早さなど親馬鹿に非ずして叔母バカなりと思ふ事あり。 午後尾去沢の一さん来訪されしとの事、にはかにあはてふためく。 気楽でいゝ方、とても好きだ、清潔さは清き流れを見る思ひして。現実はより大きな力をもって過去を支配しうるものだ。胸にいだきしめていたはかないイメージがぱっとした現実の姿におきかへられて、それが次第々々にこさをましていく。果してはかない虹ときえさるのかしら。可愛相なあの人が、あまりに

      • k子の故郷日記(2)

        昭和19年7月6日 正の体育検査、優なりしとか。一日毎の成長ぶり、そして知能のもの凄い早さなど親馬鹿に非ずして叔母バカなりと思ふ事あり。 午後尾去沢の一さん来訪されしとの事、にはかにあはてふためく。 気楽でいゝ方、とても好きだ、清潔さは清き流れを見る思ひして。現実はより大きな力をもって過去を支配しうるものだ。胸にいだきしめていたはかないイメージがぱっとした現実の姿におきかへられて、それが次第々々にこさをましていく。果してはかない虹ときえさるのかしら。可愛相なあの人が、あまりに

        • k子の故郷日記(1)

          昭和19年1月1日 珍しき晴天。麗らかな陽光。役場にて現役兵の壮行会を行ふとて父母は出席さる。 久しぶりに晴着をつけ留守をしつゝデカメロンを読む。決戦下に迎ふる元旦。 今年こそ反攻作戦に出でるといふ重大時局に幸にも故郷にかうしてむかへた事を先づ感謝せずにはいられない。 昭和19年1月8日 零下6度。昨日よりは暖たかといふものゝ寒さのきびしき日である。かげ膳の数の子すらカチカチに凍りつく有様。時々陽光を仰ぐ。 朝9時より4時までK司さん来訪さる。座する間なき多忙さが続き空しき

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          2本

        記事

          k子の大学日記(2)

          昭和17年4月13日 7時登校。一部は生田に移り新入生のものなれぬ様子がいやに目にたつ。私も三年になってしまった。女学校を出てまる2年、泣いても笑っても過ぎ去る2年間であった。よくこそ学びの道に志したものよとうれしく思ふ。クラスメートはまだそろはない。よる春よ、われに新しき希望を力を与へたまへ。 時間割発表、昼一年生との弁当の会あり。午後はじめての授業、教育と哲学とがあった。 久しぶりのこと故かなりくたびれてしまったが新しいといふことはいいものだ。よる春のよろこびをわかたう。

          k子の大学日記(2)

          k子の大学日記(1)

          昭和17年1月14日 ○○さんから宝塚の切符をとっていただいた。之は24日の土曜日のものだ。ただ漫然としている私なのかもしれない。だがこのくらいの慰安もゆるされてもいいのであろうなどと勝手な事を考へたりする。段々家の事がうすれて行く。思ひ出してははっとする。 お母さんが又お忙しく働いていられる事であろう。あの御難儀「でも美しい着物も何も欲しない。私には心の袴がある」と云われた、あの言葉を思ひ出す。精神的には人知れない苦労をしてきたこの人だ。人一倍の勝気がここまで進ませてくれた

          k子の大学日記(1)