2023年開始のホイッスルを聞き逃したまま

まだ始まってもいない2023年が終わっていた。



歳を取ると1年があっという間に過ぎていくなんて陳腐な文言を使うのは癪だけれども、本当に覚悟も実感も出来ないうちに時間を飛び越えていく。変化を恐れて新しく好きになれる物がないまま過去を啜っているし、「面白そう!」と思って10年くらい消化リストに陣取っている映画や本がある。

もしかして2023年どころか、10年も前から何も始まっていなかったのではないか……?


 

何があったのか自分で見返せるように日記を書いてみようと思ったのは夏頃だったが、気が付くと火の用心が聞こえる季節になっていた。掌の上の液晶板に時間を吸われてばかり、身体の半分以上がスマホで出来ていると言っても差し支えないほどずぶずぶになっている。
しかしこの頃Twitter(現・X)に割く時間を減らし、捌け口を失って持て余している作文欲が頓挫していた日記計画に向いた。

出力がなくなったことで、頭の中で140文字の文章を組み立てては脳内ツイート削除をする時間が無為で哀れでちょっぴりキモかったし。
10年余りをTwitterに費やして得た能力は、頭の中にカス文章のキャッシュが溜まっていくことだけだった。あんまりだ。



学生時代の部活が文芸部だったことにずっとコンプレックスを感じている。「部活なにやってた?」という何の変哲もない質問が大嫌い。

「文芸部でした」と返すと誰しも全員が頭の上に巨大ハテナを浮かべ、活動を説明すると「っぽいね~笑」と言われて終わる。
文芸部だった割にはこんな悪文を書くし、良い思い出がただの一つもない。
努めて部活動のことを思い出さないように記憶に蓋をして生きているが、部誌に載せた小説の後書きが長すぎて「もうエッセイを書け」と言われたことをふと思い出した。何の裏付けも取らず勝手気ままに書いていい文章が昔から好きだったらしい。
エッセイストに見つかって怒られる前に弁明をしておきますが、そんな雑に書いていいのはズブズブのド素人だからですよ!



そういうことで毎週日曜日、勝手気ままな文章がネットに流出する予定になった。ツイート以上エッセイ以下という文体のバランスが難しいが、慣れればもう少し書きやすいはず?

ここまでの文章を見返してみると本当に文体に悩んでいるな。ツイートだったらもっと何も考えなくていいのにね。そう考えると生産した瞬間に公開できる、脳産文章直売所は気楽だった。バズ目的の競技ツイッタラーでもなかったのでド滑り散らかしても平然とできたし。2024年は自分の中の文章表現の割合を増やしていきたい。
そして2024年が始まる時は開始の合図を私にも解るように出してください。これ以上人生のうちの1年を知らん間に終わらせたくないので。






当然、本当はわかっている。2023年がちゃんと始まっていて今終わろうとしていること。

合図が無かったなどとふざけたことを抜かして、自堕落な生活に気づかなかったフリをしている。可哀想なのでこのまま話を合わせてすっとぼけながら2024年を迎えてあげましょうね。

全く同じ文章をはてなブログにアップしています。
水質の違いを見るためにしばらくはこの方法で書いていき、最終的に片方に絞る予定。


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