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元気をもらったあの食事

機能不全の家庭にそだったので 家が安らぎの場でも 自分の居場所でもなかった

ご飯もまともに飲み込んだ記憶がない

怒鳴られながら食べるご飯に味なんてない


でも 悲しい思い出ばかりかというと そうでもない

捨てる神あれば 拾う神ありとはよく言ったもの

思春期になったわたしには 別の家族ができた

それは 仲間 という家族

何かあってもなくても 仲間の家に行くと 家では言われたことのない

お帰りとかただいまの世界がそこにはあった


学生なので 少しのバイト代から捻出する食費

買えるものは せいぜいコンビニのおにぎりやカップ麺やおでん


でも みんなで 笑いながら食べていた このころの カップ麺やおにぎりたちの味は 今でも 忘れられない

そして おそらく わたしを支え続けている人のぬくもりの味


ただそこにいることを許されたあの思い出があるから

きっと私は 今 誰かを愛することができる


人は 味わったことがないことはわからない

されたことがないことは できないものだ


仲間の間に真実の愛とか 本当の友情とか 

本物といわれる何かがあったのかどうかはわからない


でも 一緒に食べた おにぎりの味は 本物だったんだ



だから パワーが出ないときは コンビニのおにぎりを食べたくなる


あの頃の味はもう再現できないけれど 


それでも 私にとってのパワーフードなのだ


パワーフードがおにぎりって・・

なんか地味だけど 

悪くないね 私の人生





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