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祖父のノート

 私が小学生の時に亡くなった祖父は、野球が好きで巨人が好きでその中でも特にO(王)N(長嶋)が大好きだった。巨人が負けるととても機嫌が悪くなるので祖母が困っていた。私が覚えているのは、若いころに罹った病が悪化したため殆どずっとベッドの上で過ごし、選手を叱りながら野球観戦している姿だった。祖父が亡くなった時にはまだ人の死というものがよくわからず葬儀が終わって誰もいなくなったベッドの上を見て不思議な気がしたものだ。

“病院に行って留守なのではなくもうずっと帰って来ないのだ”

そう理解できたのは、随分後になってからだったと思う。

 昨日、或るニュースから辿りついたサイトで祖父の名前を見つけた。
祖父の若い頃の話は中学生ぐらいになって祖母から聞いた。
「戦時中、シソウハンとして刑務所に入っとったったんやで」
と。その時の私はシソウハンもチアンイジホウも正直よくわからなかったが
祖父の「武勇伝」をとても誇らしく思った。

 今、大人になって家族を持った私は、そのサイトで当時の祖父の友人が語る祖父たちの青春を詳しく知ることになった。それは大変な時代を懸命に駆け抜けた若者たちの眩しい青春の物語だった。彼らは詩作に明け暮れ、
戦争に突入していく日本を若者らしく憂いていた。その物語は、戦後も続くその友人たちの活動を伝えていたがその頃の記述に祖父の名前は見当たらなかった。この頃の祖父は、仲間たちから離れて祖母たちとの生活を支えるために、獄中で得た病と闘いながら勤め人として、家庭人としての人生を歩んでいたのだと思う。祖父がどんな思いで生きたのか。私には想像するしかないのだけれど祖母たちと平凡とも思える日常を送りながら詩作を続ける友人たちをどんな思いで見ていたんだろうか。祖父の死後見つかったノートには
若いころから書きためた詩が多く残っていたそうだ。私には難しいシュールレアリズムという名のそれらの詩は発表されることもなくずっとそこにあったのだ。


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