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こころの気づき・からだの気づき

橋本敬三郎という方によってつくられた、操体法という、からだの痛みなどに対する治療法があります。

からだの収縮とリラックスを繰り返してゆくことで、不快な方向への動きがスムーズになってゆくというもので、気持ちの良い方に動いてゆく、というところがとても面白い療法です。
詳しくは調べていただくとして、この操体法、動きの快不快を感じてもらうところにフォーカスしてみると、案外わからないとおっしゃられる方や、逆に事細かく感覚を伝えてこられる方がいることに気づきます。

自分の体のいい感じや悪い感じを、ことばにする事に関しては、個人差があるのだなーと、以前は素朴に感じていたのですが、心理系大学院に通うなどしてるうちに、心療内科で扱われるアレキシソミヤ(失体感症)という疾患を知り、自分の体調の変化に気づきにくい、身体への気づきか低下している心身症の存在に気づくことになりました。
(感情への気づきが低下している状態はアレキシサイミヤと呼ばれ、それに対して日本における心療内科・心身医学の草分け池見酉次郎は身体への気づきの低下をアレキシソミヤとしたといわれる)

このアレキシソミヤやアレキシサイミヤという心身症の状態に関して私は非常に驚いたとともに、深く納得のいく感じもしました。
なぜなら、痛みの治療などでは器質的な疾患がみられないないケースが多く、機能的な側面からの接近、もっといえばその方の主観的な訴えを大切にしてゆく姿勢が大切になってくるのですが、肝腎の「自分の体を感じる」ことが鈍かったり、逆に過敏すぎると、ナビゲーションがきかずに、こちらも治療しながら見通しがたたなくなりやすく、お互い道に迷ってしまいがちになるからです。
冒頭に紹介した操体法にしても、自分の体の動きの快不快がとらえられないと、なかなか成功しにくいように思います。

「自分の感情や体の調子を適性に感じる」
能力の問題、というのは機能的な症状を理解するうえで、非常にKeyとなる視点になるというのが本日の書きたかった内容ですがいかがだったでしょうか?
最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。






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