メモ

原民喜の「夏の花」をあらためて読み直すと、その書きぶりは文学のそれというよりもルポルタージュである。文学にまだ凄惨な現実を語ることができなかった時代に(というよりも、言葉にはそもそも現実を語る機能などないのだが)、大量死の凄惨な現実を語ろうとする一物書きの格闘の痕跡としての「夏の花」。

これは仮説というか仮説以前の憶測だが、第一次世界大戦によって人類がはじめて直面した大量殺戮という過酷な現実を、その過酷さのままに描き出す能力を、それまでの文学は持ちえていなかったのだろう。近代の文学は、そのための言語的配備の開発を余儀なくされる。「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」と誰かが言っていた。