人が好きとか、コンテンツが好きとか、

どんな好きだって最初は興味を持つところから始まる。

人間、知らないもの、見たことないものに対しては、ちょっとばかりの嫌悪感を抱いているもの。

その嫌悪感の壁を打ち破るものは、
打ち破ってくるほどの出た杭か、
もしくは打ち破らなきゃならない環境か。

前者は、興味の対象の側からやって来てくれて、勝手に自分の好奇心を湧き立てる。それを利用したのがプロモーションであり、広告であり。

後者は、例えば職場、仕事を円滑に進めるために、仕事仲間に興味を持った方がいいよね、って話。

嫌悪感の壁を打ち破ってきてくれて初めて、
「関心」という土俵に乗せることができる。


私はなんとなく、人にはあまり興味がない方だと自覚していた。
社交辞令程度の会話は、正直覚えていないことが多い。

でもそれはその人が決して嫌いだから、というわけでは決してなくて、
まだ、その人に対しての情報がまだ少ないから、にすぎない。

人に対しても、モノに対しても、
次の好奇心を湧かせるのは所詮「情報」でしかない。

色んな情報が身体を駆け巡って脳の中で反応が起こって、
初めて感情に繋がる。
心が動くなんて言うけれど、実際起こっているのは脳内の情報処理の結果にすぎない。

だから、もっとその人やモノについて興味を持ちたいのならば
次々と情報を落としていけばいい。
その過程の中で無意識下で情報を受けることもある。
文字になるものだけが情報ではない。


となれば、限れた時間の中で、
何かに対して強烈な興味を持ち、
そのことしか考えられないほど夢中になっている状態、
そこまでになれるものがどれだけあるのだろう。
どれだけ知っても次を知りたい、と思い続けられるものが見つかったなら、
それは幸せなことだなと思う。
いわゆる生きがいのようななにか。


不思議と、周りが見えないほど100%の目線が前に向いている時より、
心はしっかり目の前を向いているけれど
視界は広く見えて、あらゆる情報が次々流れ込んでくる状態の方が
「夢中」になれていると感じる。

夢中になるためには、心身ともにエネルギーを相当使うわけで、
それならば、ゆるいエネルギーを出し続けるよりも、
豪快で突発的なエネルギーが出る瞬間が少しでも多いといいなと思ったりするのです。

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