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少年時代の思い出

12歳の頃の話です。地域の少年野球チームに所属していました。弱小チームで同じ学年にわずか9人しかおらず、一人でも休んだら試合が中止になるというギリギリの状況の中、何事もなくやっていました。今、思い起こすと不思議です。

地域のチームは6チームくらいあったはずですが、中には常勝軍団もあって、そのチームには町で一番速い球を投げるピッチャーがいました。そりゃ、とんでもなく速かったのですが、12歳の少年には夢と希望しかなく、そいつをいつか打ち崩してやるなんて意気込んでいたわけです。9人しかいない弱小チームの9番バッターだったのに。

ある時、リーグ戦でそのピッチャーと対戦する機会がありました。前日から意気揚々と、夕飯を食べた後に近所の公園で素振りなんかしたりして、頭の中にホームランを打つシーンを何度も描いていました。少年って素敵です。

この話、その6年後を先にしたほうが面白いんです。12歳の自分は、ちょっとだけ運動神経がよいヤツとして捉えていた町で一番のピッチャーですが(町の数だけ「町で一番」がいるはずです)、じつは半端ではなかったのです。中・高の野球部でエース、6年後の高校卒業時に阪神タイガースのドラフトにかかって入団したのです。かたやこちらは中学は運動系の部活だったもののベンチ要員で、高校は帰宅部。この話はそんな圧倒的な差がある12歳が対戦した時の話なのです。

翌日、いざ対戦です。9番バッターですからたぶん3回か4回くらいに打順が回ってきたはずです。さて、結果はいかに。ここまでの話の流れからホームランを打ったわけではないのは言わずもがな。でも、じつは三球三振だったわけでもないのです。

勝負は一球で終わりました。「顔面デッドボール」。

あまりに速すぎて避けられなかったのです。そりゃ顔面にボールが向かってきて危ないとは思いました。避ける間もなく当たっていたのです。運動音痴の動体視力は鈍いのです。まわりで見ていたチームメイトは構えた姿勢が1ミリも崩れないままボールに当たったと言っていました。生まれ落ちてわずか12年でそこまでの差。当時、自分の夢は「プロ野球選手」でしたが、諦めてよかった。あの日からどれだけ努力したって叶うはずがありませんでした。無理なものは無理と伝えるのも親の役目でしょうかね。その彼はけっきょくプロ通算4勝くらいで引退しました。

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