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わたしはずっと、HOMEを探していた。

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
『いつも何度でも』/木村弓

わたしはだれかのきげんをとる必要はない。
わたしのきげんをだれかにとってもらう必要もない。
じぶんの幸せの責任は、じぶんでとる。
じぶんのなかに、じぶんで喜びを見つける。

もうじぶんを満たしてくれるものを、
そとに、だれかに求めて、探さなくていい。
だってじぶんを満たす、喜びの泉は、じぶんのなかから湧いているから。

わたしがずっと、どこもわたしの居場所じゃないと感じていたのは、感情の安心安全な避難場所がなかったから。

わたしは、じぶんの感情をあるがまま受けとめて、わかってほしかった。

どんな感情を感じてもいい場所がほしかった。
じぶんのなかにすら行き場がなかった。
だから、いくらそとを探しても見つかるはずがなかった。

そのたったひとつのHOMEは、どこにもない。
わたしのこころのなかにしか。

わたしはずっと、じぶんを許していなかった。
でもずっと、許してほしかった。
そして許してくれないことを怒っていた。

わたしはじぶんを責めつづけていた。
じぶんを責めるために、被害者でいつづけるために、あえてひとの言葉をねじ曲げたり、さも攻撃されているかのように仕向けたりして、まわりのひとを利用した。
そして、わたしはずっと、悲劇のヒロインを演じつづけた。
じぶんが被害者でいることで、感情にたくさんの鎧をつけて、じぶんを守ることができると思っていたから。

けれど、そうやって真実から逃げている限り、苦しみはつづいた。
ほしい、ほしいと、ひとから与えられるのを待つばかり。
お互いに責め合っても、ループにハマり、抜け出せなくて、出口がどこにもなく、虚しさだけが残った。
相手は、光ばかりを見て、じぶんに影があることを認めようとしないわたしに、わたしの影を見せてくれていた。
その存在は、愛そのものの現れだった。
現実にお互いの間になにが起きていようと。

だから、もう、正直になろう。
過去のわたしにも、相手にも「ごめんね」と素直に謝ろう。
最初はとても居心地が悪い。
かつてのわたしが"いい子"ぶっていると判断し、うまくいくことに抵抗しようとする。
そのわたしは、うまくいくことが怖かった。
だれかに妬まれて、いつか奪われてしまうと思ったから。
恐れや抵抗は、じぶんを守ろうとするわたしの姿だった。

でもわたしは知っている。
わたしが望んでいることを。
もうこのループがわたしを幸せにしないと気づいたから。
わたしはもう、ここから抜けだしたいんだ。
そして、ここから抜けだす方法は、"素直になること"なんだ。

素直になるということは、わたしがわたしをあるがまま受け入れているよということ。
そして、大事に想っているよとじぶんに伝えること。
相手やまわりのひとのことも。

素直にならないことは、わたしがわたしを守るはずだったのに、いつしかその気恥ずかしさは、じぶんが素直に受けとって、幸せになることを遠ざけていた。

わたしを満たすもの、喜びや素直さという輝くわたしの宝ものは、どこかにあるのでもなく、だれかがくれるものでもなく、わたしのなかに、そっとずっとそこにあったんだ。

いつも変わらず、たとえじぶんでじぶんを不幸に陥れてしまう渦のなかでもがき苦しんでいるときでさえ。

じぶんのなかの嵐が止んで、波立っていたこころが静かになれば、澄んだ水のなかにそれはあったんだ。

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