ヒマって豊か
あればあるだけお金を使うというのは、取り入れたいエネルギーだけを吸収して、いらなくなった(もしくは満たされた)エネルギーを放出するという回路が、じぶんで上手にコントロールできずに、ゆるゆる開きっぱなしだったのだと思う。
日常に、ちょこっとした気晴らしやごほうびがない暮らしは、一見シビアでハードだろうけれど、わたしに初めて、遠くまでみすえた一本の道筋を与えてくれているように思う。
お金を貯めるというシンプルな行為は、わたしを今まで見たことのない景色まで運んでくれそうな予感がしている。
今までは、止まってしまうのが怖くて、動かなきゃどこにも行けない気がして、ジタバタしていた。
今までお金で手にしてきたものを、すべて手放すのだ。
代わりに、その余白に入りこんできたのは、まず時間だ。
ヒマだから、散歩もできる。
なんだか、その時間が豊かだ。
なぜなら、その時間は、わたしの記憶に残るから。
お金ではその時間は、思い出は、買えない。
思い出となった記憶は、わたしに豊かな感情をもたらしてくれる。
なにかを探すのをやめたら、ポッカリ時間ができた。
その時間は、努めてなにもしない。
または今こうしてこれを書いているように、なにか表現をしたいという方向にきもちが向かう。
とにかく、探していたのも、追いかけていたのも、もうやめる。
そうしたら、ほんとうにほしいものにお金を使うようになって、すんなりお金を使えるようになった。
今までだって、どこかでじぶんが"ちがうこと"をしている違和感を感じていたんだと思う。
仕事をしている時間が、じぶんらしくいられないなら、仕事以外の時間は、free time。
ほんとうは、なにをしてもいいし、なにをしなくてもいい。
そんな"自由であること"をやっと、感じられた気がする。
じぶんにごはんを作ることだって、じぶんへのセラピーだ。
そんなふうに、ふだんの生活のなかに、じぶんでじぶんを癒す種はたくさん眠っている。