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天平令和の七夕まつり

『七夕のおはなしと朗読劇』

7月17日(土)に神田明神にて開催されます。

詳細はこちらからご覧ください。

「朗読劇」チケットは完売御礼!

誠にありがとうございます。というわけで突然ですがたいへんうれしいので

本日から七夕までカウントダウンさせていただきます。

「七夕」は、奈良時代に中国から伝わったとされています。

日本の偉人たちも勿論「七夕」を様々な想いで迎えられていたようです。

まずは、今も続く有名な「仙台の七夕まつり」について。

こちらは、仙台藩が大切に守り現在まで続いている壮大なお祭ですが

実は、あの伊達政宗公が始めたお祭りです。

る年祭より、伊達政宗様。

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そして仙台藩のベリーくん。(伊達成実公)

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政宗さまが、織姫が機織りが得意だったということから、子女の技芸が上達するようにという願いを込めて推奨したお祭りだったようです。

そんな政宗公率いる仙台藩。

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七夕にこんなお話しが伝わっています。

相馬馬追いで有名な相馬氏の出城が、7月4日に政宗様の軍勢千五百余騎に囲まれていたそうです。
3日経っても動きはなく。3日目の7月7日になって、政宗様の命を受けた片倉小十郎景綱が、矢文を敵城中に向けて放ちます。そこには、

「今日は七夕で、都会、田舎関係なく、女子は針に五色の糸を通して乞巧(きこう)を祈っていますよね。
男子もまた織姫と彦星が出会うことを喜び、詩や和歌を詠み、楽しむ夜です。そんな今宵一夜位、修羅のような戦などせずに、楽しみませんか。」

というような内容が書かれていたそうです。それを受けた敵の将は感心し、返答として、短冊に句をしたためると、再び矢文で送り返したのだそうです。そしてその夜は、互いの陣地で酒を酌み交わし、七夕の夜を楽しんだそうです。

粋な仙台藩らしい七夕エピソードでした。

さて、政宗様は、お手紙を書くのがお好きだったそうです。

1個違いの従兄弟、ベリーくん(成実公)(実は伊達家の血筋が濃いのは、政宗様よりベリーくんの方なんだそうです)に送った手紙も残っているのですが、

どんなにベリーくんが、送り名に「藤五郎」(ベリー君の当時の呼び名)と書いても、政宗様は一貫して「五郎どの」とお書きになっていたそうです。

因みに、政宗様から、片倉小十郎への手紙の宛名はいつも「片子」だったそうです。

以上、仙台藩と七夕の豆知識でした。

明日は、顕如様と七夕についてお届けします。

る変の顕如様

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る戦の顕如様

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