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駄々文#10

 久しぶりに寝ようと思っても眠れない。
明日は朝からスロットの抽選に並ばなければいけないのに、これは困った。
人生初のパチンコパチスロで緊張興奮しているのだろうか。
一番知識と経験のある男が、ホントに金がないからと言ってドタキャンしたからだろうか。
だからこそ一攫千金に行こうという話ではなかったか。
あまり、あらゆるものから”さめる”ようなことをしないでいただきたいものだが、まあよい。
おかげで必死こいて仕組みやコツを調べるなどして、自分の責任で向き合えそうだ。稼がせてもらうぞ。

 前にも少し書いたが、本当に目が悪くなったなと思う。
悪くなったというのは、裸眼で過ごすのが少ししんどくなってきたという程度のことであるが、今まで見えていたはずの景色が霞んだりブレたりするのはなんとも言えない無常を感じる。
歳を重ねるというのはそういった側面があると思っている。目が悪くなる、足腰が衰える、自分の力で遠くへ行くことが制限されていって、自分の世界の範囲が狭くなっていく。

 目が悪くなることを頑張ってプラスに考えてみよう。
私は音楽家の端くれとして、何度目を潰したいと思ったことかわからない。
目は人間の五感の80%を占めていると言われていて、視界の情報処理に割くメモリは膨大だ。
目が悪くなって景色の詳細が捉えられなくなるというのは、画質が悪くなるってことで、ファイルが軽くなってメモリの圧迫を軽減できるのではないか。
さあ目を瞑って駅の雑踏に耳を傾けよう。
立体的な空間が、視界を介さなくても広がっている、なんならより現実味を帯びているように感じないだろうか。

 私が好きなスウェーデンのユニット、Mats/MorganのキーボーディストMatsは盲目である。それが故の独自的な発想によるプレイは凄まじいが、近年は彼の耳の不調によって演奏活動を自粛している。
視力だけでなく聴力までも奪われつつある音楽家、人間、一体どれほど恐ろしい気持ちなのだろう。
視覚も聴覚もと聞くと、真っ先に思い浮かぶのは晩年のベートーヴェンである。そうなってもなお、彼は作曲を続けたと言われている。
口に咥えた木の棒をピアノに当て、そこから得られる振動で音程を確かめていたとも言われているが、彼ほどの大音楽家となれば頭の中で沢山の音が鳴り続けているのだろう。

 今あるもので何ができるのか。
結局はそれしかできないし、無くしたものが多ければ多いほど、残ったものが強く強くなっていき、最後は身体すら必要なくなって魂として旅立っていくのかもしれない。

 私が残り少ない貯金でできることは、パチンコに突っ込むこと。結果増えて若返るのか、失って歳をとるのか。どちらでも構わないから今は眠らせてくれ。


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