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22年前の思い出

2002年6月4日。
日韓W杯 予選リーグ初戦。
日本vsベルギー戦。

思い出のチケット

3日前ですか、
ちょうど22年前のこの日、
サッカー日本代表にとっての
歴史的な日でしたね。
W杯で初めて勝ち点を取った試合。
この試合観に行きました。
今でもこうしてチケットは
記念に取ってあります。
この日のことは
鮮明に記憶に残っております。
前の晩から遠足気分で、
思わず早起きしたりなんかして。
試合は夜でしたが。
目黒から浦和美園まで電車で行きました。
どんなコネクション使ったのか
知りませんが、永田町から
よくテレビで拝見する政治家の人たちが、
ゾロゾロと電車に乗り込んできて、
我々と同じ目的地である
埼玉スタジアムまで道中を
共にすることになりました。
まあ今日ぐらいは小さいことは気にせず、
みんな笑顔でいい日にしましょう!
てな感じで、浦和美園の駅につきまして、
延々と田舎道を歩いて
スタジアムに向かうわけですが、
徐々にスタジアムが近づいてくると、
もうワクワクドキドキが止まらないわけです。
当時、37歳の私でしたが、
気分は中学生です。
歩くこと15分。
完成したばかりの埼玉スタジアムに到着。
スタンドへの階段を駆け上がると
美しくて、陸上トラックがなく、観客席と近い、臨場感あふれるピッチが見えてくる。
ぷ〜んと芝生の香りに包まれる!
白いアウェイのユニフォームの
代表選手たちが
試合前のウォーミングアップをしている。
ヒデ! イナ! 伸二! と叫ぶ。
トルシエ!
(トルシエは当時あまり好きじゃなかったけど、だから)と叫んだのは、
一緒に観戦した後輩くんだった。
負けずと自分もダバディ!と叫ぶ。

ブルーインパルスが飛んできて、
人生で一番の大声で『君が代』歌って。
そして試合開始。前半0-0。
後半、ヴィルモッツのオーバーヘッドで
ベルギーに先制される。
そしてあの鈴木のつま先! 同点ゴール!
その後稲本のゴールが決まり2-1になった
瞬間は興奮しすぎて鼻血が出るかと思った。
結果は追いつかれて2-2で勝点1となった。

興奮冷めやらぬ中、
電車で都内に戻り中目黒で焼肉を食べたのだが、街にはほとんど人が出ていなかった。
正月元旦の夜のようだった。
みんな家でTV観戦していたのだろうか。
この頃、いくつか仕事を掛け持ちしていて、
その編集作業に追われていながらも
ロシア戦、チュニジア戦と気になって
試合になると編集室の近くのスポーツバーで
観戦して日本の快進撃に興奮した。

夏は、情熱大陸の撮影で
明治大学の齋藤孝先生に密着していて、
毎週のように斎藤先生のゼミや講演や
ラジオ収録でカメラをまわし、
インタビューしたり、
NONFIX の撮影で京都に行ったりと
充実した日々を過ごした。
この京都では、
当時16歳とか17歳くらいだった
宮崎あおいちゃんとはじめて仕事をした。
彼女の潔い芝居に魅了された。
そしてこの2年後に
僕の長編デビュー作に出演してもらった。

フジテレビ『NONFIX 京都の恋〜2002年夏〜』

秋は秋でそれらの仕上げ作業に追われつつ、
合間を縫って海外ロケに行ったり
あっという間の一年だった。

テニアン島だと思われる。撮影の合間に、一応カッコつけてスチールカメラマンに撮ってもらった1枚。

この頃に比べると
昨今全くもって忙しさの欠片もないが、
年齢のせいか時間の流れが早くてビックリする。もう紫陽花の季節。
だからもう梅雨。そしてすぐ夏。早っ💦💦
そしてすぐ還暦💦💦。
早く5話書かなきゃ💦💦💦。
では、
また来週『2025クライシスの向こう側 第5話』でお会いしましょう!

先日買い物のついでに自転車で
少し離れた公園に紫陽花を見に行きました。
その時撮った素材で
インスタのリールにしてみました。


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