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レベルファイブ年代記 2007年

レベルファイブの2007年の年譜です。
次年度以降もどんどん追加していきます。


2007年1月~2月

2007年2月14日 「レイトン教授と悪魔の箱」発表。
東京・エプソン品川アクアスタジアムで行われた、ゲーム『レイトン教授と不思議な町』の完成披露会で発表された。
なんと2作目の悪魔の箱は、1作目の発売前日に発表された。

2007年2月15日 レイトン教授と不思議な町 発売。
レベルファイブ発のパブリッシャー作品。
国内100万本、海外317万本のセールスを達成する大ヒット作となる。
また、レイトン教授シリーズは2018年6月時点で世界累計出荷本数1700万本を達成している。

レイトン教授の不思議な町では、当時殆ど取り組まれていなかったゲームの声優に俳優を起用する取り組みや、プレイ画面上に目的や目的地を表示し、次の行動を分かりやすくするシステムの採用など新しい取り組みが行われており、特に後者はレベルファイブのクロスメディアタイトルのゲームに標準採用される事になった。

なお日野社長は不思議な町の販売戦略として、不思議な町の初月利益全てを次の宣伝費につぎ込むというやり方を続け、収益を全て宣伝費に回したことで、最終的にはかけた宣伝費以上の売上回収が出来たという。
これは当時力のない会社であるL5が他の有名メーカーと渡り合うために行った博打だそうだ。

この宣伝費がどれだけ莫大であったかというと、「レイトン教授と不思議な町」は制作費が1.5億円なのに対し、宣伝費はなんと2.3億円であった。つまり、ゲームの制作費以上に宣伝費が投入されたのである。

2007年3月

2007年3月 ローグギャラクシー ディレクターズカット発売。
2007年1月に発売された北米版の内容を盛り込んだ作品で、いくつかの仕様が改善されている。

2007年4月~6月

2007年4月 社屋移転(福岡県福岡市中央区白金1丁目20-3 紙与薬院ビル)

2007年7月~8月

2007年8月28日 コロコロ編集部、イナズマイレブンの漫画連載を承諾。
最初は飛び込み営業に近い形でコロコロ編集部にイナズマイレブンをプレゼン。
その後何回かプレゼンを行い漫画連載を取り付ける。
なんと、漫画連載承諾は「LEVEL5 VISION 2007」開催日前日であった。

2007年8月29日 初のレベルファイブビジョン「LEVEL5 VISION 2007」開催。
「レイトン教授と悪魔の箱」「イナズマイレブン」の2タイトルを発表。
レイトン教授の実写映画企画も発表されたが、最終的には転じてアニメ映画「レイトン教授と永遠の歌姫」として2009年に公開された。

この発表会で発表されたイナズマイレブンはレベルファイブ初のクロスメディアタイトルとなった。
イナズマイレブンは対象ユーザーがこれまでのレベルファイブが手掛けた作品のユーザー層よりも低年齢である子供たちであるため、ゲームを買ってもらうにはメディアと組まなければヒットする可能性は低いと日野社長は分析していた。

また、2014年の発言であるが、日野社長は子供にとって5,000円は大金であり、お年玉を貯めたり、親に相当お願いをしたりしないとゲーム買えないため、子どもたちにそこまでしてでも欲しいと思ってもらうには、ゲームだけでは難しいと考えていたようだ。

そのため日野社長は、まずお金のかからないテレビアニメやお小遣いで買える漫画でクロスメディアタイトルを好きになってもらい、最上級の遊びとしてゲームがあるというステップが必要だと考えているようだ。
以上の理由からイナズマイレブンではクロスメディア展開を図った模様。

当初、このイナズマイレブンは「サッカー」を作品の中核要素に据えて、青春スポーツものとして企画開発していたが、作品のテーマである「サッカー」について久保雅一氏や浜村弘一氏らから「今の小学生向けには、このテーマでは当たらない」という指摘が相次ぐ問題にぶち当たった。

また、イナズマイレブンのテレビアニメの放送にはアニメ制作費や電波料を含めて毎月約3000万円、年間では約4億円に近い資金がかかる現実も突きつけられたという。 (2007年頃の話かつ、製作委員会方式ではない場合の話の模様)

そこで日野社長は、ストレートなサッカーが受けないなら、子供が好むアクション、ヒーローものの要素を強めるという「青春スポーツもの」から「アクション作品」に路線変更、アニメの制作費はテレビ東京、小学館、タカラトミー、電通を加えた製作委員会方式を取ることで問題を解決した。

2007年9月

2007年9月 「東京ゲームショウ2007」初出展。
イナズマイレブン、レイトン教授と悪魔の箱が出展された。
レベルファイブは無料体験版「レベルファイブプレミアムシルバー」配布で待機列180分待ちなどの混乱を引き起こす大失態を起こしてしまう。

レベルファイブはお詫びとして、この「レベルファイブプレミアムシルバー」の収録ソフトをレイトン教授と悪魔の箱の製品版に収録することで、問題を終結させることにした。

2007年10月~12月

2007年11月29日 レイトン教授と悪魔の箱 発売。
前作同様、国内94万本、海外243万本販売する大ヒット作となる。
2024年9月現在は不思議な町、最後の時間旅行同様、スマホ移植版が配信されている。

2007年11月30日 レイトン教授と最後の時間旅行 発表。

2007年2月~2008年8月の間

2007年2月〜2008年8月の間 「デジタルワークスエンターテインメント」との繋がりができる。
ソニー時代にデジタルワークスエンターテインメントの樋口社長と一緒だった方が日野社長と知り合いで、そこを経由してイナズマイレブンのゲーム開発協力を要請したことがきっかけ

なお日野社長によれば2007年2月〜2008年8月の間に色々な会社に電話したものの福岡までイナズマイレブンの開発のためのプログラマーを派遣してくれる会社はなかった模様。
その仕事ぶりからか、デジタルワークスエンターテインメントはその後もバスターズ2まで開発協力を行った

なお、付き合いが長かったデジタルワークスエンターテインメントがバスターズ2以降、何故かレベルファイブと関わりがなくなる。個人的には「『イナズマイレブン アレスの天秤』を制作できる規模の人数がいないにも関わらず、開発を引き受けた会社」がこの会社では?と推測

参考・引用資料

参考・引用資料
「日本ゲーム産業史 ゲームソフトの巨人たち」
「ファミ通 2018年11月8日号」

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