おひとりさまお菓子パーティーの日

なんの脈絡もなく訪れる、今日はお菓子の日だ!!という心の底からの要求。何かきっかけがあるのないのか、その謎が解ける日は来るのか来ないのか。

お菓子パーティーのやり方はこうである。

①近所のスーパーに行く。
②好きなお菓子を好きなだけ選ぶ。
(ここでのポイントは、自分の口が求めている味を吟味しつつ、コース料理をいただくときのように食べるお菓子の準備を練りながら選ぶことである。
ちなみに私は、パーティー終盤でやっぱり物足りないな、とならないように、ちょっと食べきれないかな、と思う量を思い切って買うこととしている。結局いつも、全部平らげてしまうから。)
③家に帰り、お菓子の袋を開けてパーティーを始める。

この説明を書いていてふと思ったのだが、ちゃんと一つ一つお菓子を袋から出したあと、綺麗なお皿にそれらを並べたら、もっとパーティらしくなるのでは??

次はそうしてみようかと思うけれど、なんとなくこのままがいい。近所のスーパーの袋のまま、貪るように無心に心から味わう、飾らない雑ともいうべき様式が、こういうときの気分にはよく似合うと思う。雑も面倒くさがりも、「敢えて」の選択なら作法のひとつになると信じて、満喫し尽くしたお菓子パーティー。

夜勤明けで疲れていたから。

明日はホワイトデーだから。

なんだか最近痩せすぎている気がするから。(その心配が必要だったことは今まで一度もない。自分がいちばんよく知っているし、部屋の隅の体重計も同意見だ。)

言い訳をこうやって並べあげ、罪悪感を軽くしようとしていた、今までは。

この奇妙な、ひとりで主催し参加するお菓子パーティーの存在は、決して他人に知られるまいと秘密裏に行うことに徹していた。

なぜか最近、写真を撮ったりそれをSNSで公開することに抵抗を覚えなくなった。

寧ろこんなにお腹にはいるのですと軽く誇りに思って公開している節すらある。

お菓子を食べすぎるわたしは、そんなに変かしら。
そんなにすごい量かしら。
食べすぎかしら。

一般的な答えは、おそらく食べ過ぎだ。

なぜ分かったかというと、お菓子パーティーの写真を家族に見せたら、その量に仰天されたからだ。
母は、仰天を通り越して私の体を心配してくれてた。

けれど、その家族の反応を見て私は、とてもすっきりした心持ちになったのだ。

わあ、こんなに驚かれている。
私もびっくり。

そんな単純な自分の心理に出会ったとき、私の大食いは恥じるべきもの、隠すべきものから単なる私の特徴の一つになった。

罪悪感を感じる対象ではなくなった。そんな大袈裟なものではなくて、人それぞれ食べ物の好みが違うとか、好きな色や季節が違うとか、そういうことと同じに思えた。

ただ、私はたくさん食べたいときがある。
体を壊さない程度に、自分のお腹の淵ぎりぎりまで甘いもので満たしたい、という特殊な要求を叶えたい日がある。
ただそれだけだ。

これは、とりあえずの結論に着地した、と見ていいのだろうか。

また新たに、思いつくことがあればそれはそれで楽しそうだ。

私の、自身の食に関する考察は、きっと生きる限り続くのだ。

今日は、ここまで。

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