【ネタバレ注意】映画「ザ・エレクトリカルパレーズ」の感想と考察

M-1グランプリ2020が終わり「マヂカルラブリーは漫才なのか?」という非常にくだらない話題に盛り上がる中、私はとんでもない映画に出会ってしまった。その余韻に浸り、さらに情報を追い求める中で想いが溢れてしまいまたしてもnoteに書き記すことに。

ちなみにマヂカルラブリーのM-1ネタは漫才です。以上

そのとんでもない映画とは

『ザ・エレクトリカルパレーズ(ニューヨーク Official Channel)』

M-1グランプリ2019決勝進出以降、キングオブコント準優勝、そしてM-1グランプリ2020でも持ち味の毒のあるネタで5位に輝いた今飛ぶ鳥を落とす勢いで絶好調なニューヨークの公式YouTubeチャンネルで突然配信された映画である。

あらすじ

簡単なあらすじとしては

『2011年、NSC東京校17期生たちの間にとあるグループが現れた。「ザ・エレクトリカルパレーズ(通称エレパレ)」と呼ばれるそのグループはNSC同期内でも目立った集団であり、彼らはオリジナルのTシャツやテーマソングを作り、好意を持った女生徒たちと複数にも及ぶ関係を持っていたとされている。一時その噂は芸人たちの間で話題となったが誰も正確な情報を掴めないままいつしか忘れ去られていった-。
9年後、話を聞きつけたニューヨークチャンネルはエレパレの正体を探るべく調査に乗り出した。シビアなお笑いを志した若者たちは、なぜそんな組織を作ったのか。取材をすすめるうちに17期生たちが蓋をした真実が見えてくる。そして映画は現代の若者たちが抱える様々な問題をあぶり出しながら、衝撃のラストへと雪崩れ込むがー。ニューヨークとスタッフが総力をかけて挑んだ渾身のドキュメンタリー作品。』となる。

エレパレを追いかけろ

ことの発端は2020年2月16日のニューヨークYouTube公式チャンネル内でのラジオ番組「ニューヨークのニューラジオ#56」にて最近は大学サークル出身芸人が増えてきたというくだりで嶋佐が突然「エレパレかよ」とそのワード溢したことから始まる。何それとエレパレに興味を持つ構成作家の奥田泰氏に対して、端的かつ面白く事情を説明をする屋敷と”エレパレ”のネタスパイスを手際よく塗していく嶋佐。

完全に興味を持った奥田氏はYouTubeチャンネル内でエレパレについて真相を追いかけていくことを決定。情報を募集する。

まずはエレパレを外側から見ていた17期生の空気階段のもぐらやオズワルドから話を聞く。口を閉ざすもぐら、セックスサークルだと言い切るオズワルド伊藤。次にガーリィレコードら4人に話を聞く中で、高井(ガーリィレコード)が重要な鍵を握る発言を幾つか残す。そこから実際にエレパレに所属していた本人たちに話を聞きだすと雲行きは怪しくなる。一枚岩と思われた”ザ・エレクトリカルパレーズ”は決して皆が皆、良い思い出だったわけでなくある者は今でもエレパレの日々を愛し、ある者は憎しみ、ある者は今ではその蓋を閉ざしていた。

当初は”エレパレ”を完全に馬鹿にし、ネタとして弄るために17期生を追いかけていたニューヨークであったが真実という確信に近づくにつれ、いつしか「エレパレは誰もが持っている出来事」であることに気づき、その登場人物全てに愛情を持つ立場に変わっていく。

広がりゆくエレパレの波

今、芸人界隈でエレパレが非常に話題になっているらしい。特にその筆頭ともいえるレイザーラモンRGは静岡のラジオでエレパレについて熱く語り、曲紹介のコーナーでエレパレのテーマ曲をアカペラし始め、何故か2番まで歌い、最後大号泣するというハマりっぷりである。

他にもRGの相方のレイザーラモンHGやM-1グランプリ2020王者マヂカルラブリー野田クリスタル、さらに見取り図盛山やコロコロチキチキペッパーズといった芸人もエレパレにハマり、それぞれのYouTubeチャンネルなどでエレパレを語っている。さらにこの波は芸人だけでなくテレビ東京の佐久間宣行やTBSの藤井健太郎といった今を時めく天才プロデューサーたちまでもが興味を示している。近い未来にゴッドタンや水曜日のダウンタウン、しいてはアメトーークで取りあげらえるだろう。

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エレパレは誰もが持っている

では何故、いま多くの人がこのようにエレパレにハマっているのかというと誰しもがこれまでの人生においてエレパレに似た出来事に遭遇し、何らかの形で関係してきたからに他ならない。

学校や職場といったどんな場所でもグループというものが必ず形成され、そこにはカースト(序列)が必ず存在する。またその中に個人としてのキャラクター(陽キャや陰キャといったもの)も絡んでくる。

このグループは大きく分けて5つの登場人物に分けられる

①グループの中心としてカースト上位で目立っている陽キャ
②その目立つ上位グループにすり寄ってく陽キャ(陰キャ含む)
③カースト上位の陽キャが嫌いなのに逆らえない陰キャ
④はしゃいでる陽キャが問答無用で嫌いな陰キャ
⑤そのグループと距離を取って冷静に取捨選択する陽キャ(陰キャ含む)

今回のザ・エレクトリカルパレーズの登場人物で分けてみると

①ワラバランス宮崎はじめエレパレの大半
②ラフレクラン西村
③吉川きっちょむ(元ゲオルギー)
④オズワルド伊藤
⑤ラフレクラン西村の元相方

このようなかたちに分類ができる。①②③は言わずもがな事実としてエレパレであるのだが、④と⑤の存在がよりエレパレを立体化させるものであり、それはつまり彼らも言ってしまえばエレパレ(概念としての)なのである。

人の青春を笑うな

エレパレは誰しも他人事ではなく、登場人物になり得る出来事なのである。

例えばラフレクランのきょんが語った「カースト下位で疎外感を感じていた人間が、ある日カースト上位の人間に認められて嬉しかった」という感情は共感する人も多いのではないだろうか。

侍スライスが語った「エレパレで遊んでいた当時はすごく楽しく、周りからどんな目でみられているかなんて関係なく過ごしていたが、グループの外にでた途端に痛いヤツ扱いされ、思い出に蓋をするようになった」という状況は黒歴史をもつ全ての人が経験していることではないか。

逆にオズワルド伊藤のように「エレパレのような集団を嘲笑したり、嫌ったこと」や「周りの目を気にせず自信過剰な振る舞いをする者をあいつイタいよなって馬鹿にしていたこと」もあるのではないだろうか。

ニューヨークチャンネルが17期生およびエレパレを追いかけた先にあったものは卑劣なセックス集団ではなく、単に青春のど真ん中を一生懸命に生きていた若者たちであった。エレパレの思い出を熱く語り、涙ながらにテーマソングを歌ったワラバランス宮崎も、彼らをセックスサークルと罵ったオズワルド伊藤も、エレパレを馬鹿にした屋敷や嶋佐も皆、そのとき己の正義にまっすぐに生きていただけであった。

人は誰しも青春の1ページとして、自分自身のエレパレを持っている。そしてそこにあるのはそのときを一生懸命に生きていた自分である。誰かにとっては恥ずかしいエレパレも、その人にとっては大切なエレパレなのである。

人の青春を笑ってはいけない。

最後、”俺はエレパレではない”と頑なに否定し、仲間が持っていたエレパレTシャツをゴミのように扱うラフレクラン西村に「お前もエレパレと楽しくやってたくせに、エレパレをバカにするな!」と叫んだ屋敷。

映画「ザ・エレクトリカルパレーズ」は、誰が見てもどこか共感できるとても普遍的なストーリーであり、登場人物を自分の思い出と入れ替えても成立する。だからこそ多くの人に刺さっているのではないだろうか。

エピソード0

是非、映画を見終わった後には『ザ・エレクトリカルパレーズ 前日譚』を見ることをオススメする。

1人でも多くの人がエレパレを好きになり、自分自身のエレパレを見つけられますように。

追伸:ニューヨークとは一切関係のないYouTubeチャンネルにてNSC17期生のエレパレに関するインタビューを拝見しましたが同期の男女内のセックスは頻繁に行われていたらしいので「エレパレ=セックスサークル」については否定できないようです。笑


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