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ターニングポイント

どんな風に返事をしたらいいのだろうか
相手は天下の任天堂のサウンドの方
私が送った無謀なカセットテープひとつで
会社をやめるとか・・そんなもっと無謀な考え
どう受け止めていいのかわからない
そんなこと考えながら
私はつり革を持って電車に揺られながら
ぼんやりと田んぼばかりの外の景色を眺めていた

その時突然、隣に立っていた女性から
声をかけられた
「久しぶり、私のことわかる?」
あ~~たしか
かなり前に参加したパティーで一緒だった人

その頃親しくしていた友人主催で
よくパーティーをしていた。今で言う合コン
私は毎回のようにそのパーティーに呼ばれていた
その人は前回のパーティーのとき
初めて参加した人だった
その時はほとんど会話もなく顔を覚えているだけ
確か大阪芸大に通ってるって言ってたっけ

私「覚えてます。こないだのパーティーで」
彼女「そうそう!」
「今、仕事の帰り??どこの会社行ってるの?」
そう聞かれた
その頃はいつも「ゲーム会社です」って答えても
「なにそれ?」と聞かれるのが常で
毎回その度、説明するのがめんどくさくなってた
ゲーム会社の存在を誰も知らなかった時代
あ~~また説明か・・・と思いながら

「SNKっていうゲーム会社行ってたんだけど・・」

そこまで言うと彼女は

「うそ~~~!!!私もゲーム会社!!」
(えっ???想像を遥かに超えた答え。
こっちのがうそ~~~!やわ)

「カプコンって言う会社なんやけど」


カプコン??ゲーム会社・・
全くその存在を知らなかった
同じゲーム会社の人がいた

ドキドキしていた
真っ白になった頭の中のまま
この人なら通じると私は話を続けた
「ゲームサウンドしてたんだけど
実は会社の業績悪化で、やめて今探してるところで」
そう切り出したとたん
彼女は興奮して、すごい勢いで話しだした

「来て!来て!うちに来て!
先日サウンドの子がやめて困ってるねん!!」
私の返事も待たないうちに続けた
「1回面接に来てよ!!」「とにかくすぐ来て!」と
彼女もカプコンでサウンド担当
ゲーム音楽を作っていたのだ

たまたま顔見知りだっただけの人と
電車であって話したら
その人もゲーム会社でサウンドしてたって
こんな偶然ある?
(1983年の話です)

圧倒された。何だこれは
先日の任天堂の話しといい、今回のこの展開といい
何が起こってるの?
もう私の心と頭はついていけてない
すごい勢いで線路の上を走っている

私の運命はもう絶対にゲームサウンドをやること!
に流れているのだ
これはもうその流れに乗るしかない

私は後日面接に行く約束をした

面接の日には社長が待っていた
「いつから来れる?」
「給料は前の会社より5万円アップや」
自分の技術を詰め込んだカセットテープも必要ない
その頃ゲームサウンド経験があるということが貴重だったから
すべてが即決だった。

カプコンはまだできたばかりで
小さな古い貸しビルで開発は20人ほどだった
当然人事などないから
「よっしゃほんだら決まりや!たのむで」

その社長の一言で
私はカプコンへ行くことになった

その面接終了のあと社長が「飲みに行こか!」と
なんと森さんと、もうひとりのデザイナーと私と社長で
飲みに行き、カラオケに行き
社長の家に行ってお茶をよばれ帰ったのだ。
面接の日に

任天堂のサウンドの方には
「他の会社に決まりました」と返事を出したように思う
その記憶は曖昧で不確かですが
その方は今もゲーム会社でサウンドをしておられるのだろうか
もしかしたらもう定年退職されているかもしれないが
なぜ会社をやめてまで私とサウンドをやろうと思ったのか
一度会ってその頃のこと話ししたい気もする


今では2000社以上ゲーム会社はあるが
その頃関西には
任天堂、SNK、ニチブツ、コナミ、アイレム
そしてカプコンくらい
ファミコンが世に出る前の話し
ゲーム会社の存在など誰も知らない中で
これはもう奇跡としか言いようがない

私の強い強い絶対にゲーム会社でこの技術を生かす!
という思いは
絶対に最高の技術を集めて最高のゲーム会社を作る!
という辻元社長のエネルギーとつながったのだ

そしてその思いが本物であるのか
どれだけ本気でゲームサウンドをやりたいと思っているのか
任天堂への無謀な挑戦は
まるでそれを試されたみたいだ
そして私は合格したんだろうな

その時から私は信じてる
なにか勇気を出して挑戦したことは
その時は失敗に終わっても
絶対に違う扉が開くということ
目に見えないエネルギー
“思い”とか“念”とか“波動”とかは
いいも悪いも必ず届くべきところに
つながるということ



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