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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。

昭和のOLがどんな気持ちで働いていたか、平成、令和の働く人に知ってほしくて、この記事を書きました。インターネットもSNSもない昭和で働く人の気持ちを分かってほしかったのです。

私は昭和のOLです。就職する時、就職する会社、仕事の種類、自分の将来設計など「働く意義」を全く考えていませんでした。家族や友人、学校の先生などの意見を聞いて、事務員になろうと決めました。

仕事はだいたい18歳で決まる

昭和のOLは、だいたい高校を卒業する18歳で将来が決まります。特殊な仕事以外は、だいたい進路で就職先が決まります。美容や理容、デザインに調理やプログラミングの学校に進学する人はその専門の職業に進みます。大学に進学する人は、選考する学科に関係する仕事か、一般的な営業や事務に進学します。

多くの女性は、親の勧める職業になりました。私の父は、私に「美容師」か「理容師」になって欲しかったようです。手に職をつければ、一生、収入を得ることができると思っていたからです。

私に、美容師や理容師の素質があるとか、美容の仕事に興味があるとか、そんなことは一切考えていませんでした。父の兄嫁が、結婚後に自営の理容店のために、理容師の資格を取得したこともあり、努力すれば、だれでも「理容師」になれると思っていたらしいです。

事務の仕事をゲットで安心

専門学校を卒業後、商社の営業所に就職しました。何社も入社試験を受けてやっと受かった会社です。入社が決まった時は、嬉しいというよりも安心しました。仕事が決まらなければ、自営業を手伝うことになります。私は我が家の自営業にまったく興味がありませんでした。身内ということで、給与がもらえるかどうかも不明でしたから。

働きながら意義を考える

営業事務の仕事が楽しいかというと、楽しいわけがありません。電話では怒鳴られるし、受け取った手形や小切手は、詳細をチェックしないといけないし、なぜが、商材の機械の修理もしてたし、台車に商品載せて、デパートまで納品に行ってたし、しんどいこともたくさんありました。でも仕事は「つらいことを耐えること」と思っていたので、なんとかこなしていました。
(花登筺のテレビドラマを視ていたので堪えられました。)
この仕事に将来性はあるのかと思い悩んだこともあります。

昭和の事務、仕事で得るもの

昭和のOLさんは、事務仕事を辞めたら、仕事で得たスキルはパァーっと忘れていったと思います。私も、商社の仕事を退職した後は、事務のスキルよりも趣味で使っていたPCスキルで仕事してきました。ですが、事務員を辞めて10年後、20年後に商社時代に得た経験が役に立っています。

経験こそ、仕事の意義

仕事の意義は、経験を得るということだと理解しました。昭和のOLの皆さん、働いていた時の経験を忘れないでください。電話の受け答えも、来客対応も、今のオフィスでは、教えていただけません。


#いま私にできること

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