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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。

アフターファイブは、自分磨きの習い事

昭和のOLといえども、将来の夢はあるのです。60歳で定年退職するまで、現在の会社で働き続けるとは思っていません。アフターファイブは自分磨きに勤しんでいました。

昭和の終わりごろに、自分磨きという言葉がはやり始めました。OLさんたちは習い事に精を出していました。その習い事は昨日ブログで書いた「スキル」に繋がることは少なかったと思います。ヨガ、ジャズダンス、料理、お茶やお花、英会話とまるで花嫁修業のようです。

「英検2級対策コース」

私が、アフターファイブに通っていた「英検2級対策コース」についてお話します。

この対策コースは、新聞社が主催する「○○文化センター」の一つでした。午後7時に開始する教室でしたので、昼間働いている会社員が通っていました。英検2級を欲しかったわけではありません。学生時代に3級を取得したので、2級を取ってみようという軽い気持ちで受講していました。

授業の内容は、先生がテキストを中心に説明し、過去問題や、最近の英検テストの傾向などを教えていただきました。

私は、仕事の後ということもあり、後半はよく居眠りしていました。クラスメイトたちは、真剣に授業に取り組み英検2級合格を目指していました。皆、英検を取得して、「仕事に活かそう」、「転職しよう」という方たちだったのです。

私は結局、ワンシーズン3か月だけ、受講し、英検2級の試験も受けませんでした。居眠りばかりしていたので、2級を受ける実力はまったくつきませんでした。

「圭子の夢は夜ひらく」

英語の続ける根気も実力もないまま、その8年後に、アメリカに住むことになりました。藤圭子さんの歌「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞にある「トミー」とか「ジョージ」という名前の男性がいる国です。「英検2級対策コース」をもう少し真面目に受講していれば、もっと楽に生活できたと思います。アメリカ生活は、神経をゴリゴリ減らすようなことがありましたから。


「英検対策コース」で夢は叶うのか?

今でもときどき「英検2級対策コース」を受講していたクラスメイトたちは、2級に合格し、自分の夢を実現することができたのか考えることがあります。まだまだ「英検2級」が英語の実力として評価されていた時代の思い出です。

その数年後には、自分が新聞社が主催する「○○文化センター」パソコン教室で講師になることは夢にも思っていませんでした。現在では英検2級では、英語の実力として評価されることは、新卒くらいになりました。私はいまでも、英語の勉強は続けています。少しずつですが。

サポートしていただけたら、とっても嬉しいです。昭和の文化をとことん、語ってみたいと思います。昭和のOL仕事についてお知りになりたいことがあれば、コメント下さい。noteでお答えいたします。