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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。今回はブラック企業について書いています。

ブラックという言葉が、日常的に疲れています。実際にブラック企業で働いている人、自分の意に染まないことがあればブラックという人、ブラック企業では絶対働きたくないという学生など、ちょっとのことでブラック、ブラックと言い出します。ブラックとセットの言葉で社畜という言葉を使う人もいます。昭和のブラック企業はどうだったのでしょう。

昭和のブラック企業

ブラック企業というよりは、危ない会社と言ったほうが良いでしょう。「自社が降り出した手形が落ちなかった会社」、「給与の支払いが遅れる会社」、「自社の社長はメインバンクの社員だった」こういうお金が絡んだ事情がある会社が危ない会社でした。残業代の未払いや、時間外労働、プライベートな時間の拘束などは、インターネットやSNSがない時代なので、悪いことだとは思っていませんでした。休日に上司の引っ越しの手伝いなどは、普通に行われていたことです。会社で働く人は正社員が多かったので、残業代も普通に払われていました。ただ、パワハラに当たる行為は、何処の会社でもありました。部下を「おまえ」と呼ぶのも、「馬鹿野郎」と怒鳴られるのも当たり前すぎて問題にもなりませんでした。

平成のブラック企業

インターネットで情報が行きわたり、セクハラやパワハラという言葉が浸透してきました。派遣社員が増えて、社内に今までにない「上下関係」ができました。 コンピュータープログラムを作る会社が増えて、残業代が劇的に増加しました。自己啓発セミナーみたいな研修も、平成に入ってから始まったと思います。社員を洗脳するような研修内容は、考えただけでもぞっとします。情報が氾濫している時代でも厳しい雇用条件で働く人はいました。

IT・ソフトウェア・情報処理業界は、新しいシステムを作るという夢があります。その夢に向かって邁進しているときは、労働条件が悪くても夢中で働いている場合があります。アニメを作っている会社も同じような環境ですね。「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも、大きな仕事を成し遂げるためには労働環境なんて二の次になっています。仕事に向ける情熱をうまく利用して、働かせているのですね。

ブラック企業は無くならない

令和では、リモートワークという働き方が、始まりました。成果主義とか、効率ばかり求められることもあります。ITエンジニアは、常に、最新のIT情報を気にかけ、流行のプログラミング言語を自主的に勉強している人が求められていると言う記事を読んだことがあります。きれいな言葉で書いてありますが、プライベートな時間も仕事の勉強をすることを、強いられているように感じます。仕事で必要な知識は、仕事中に学ぶべきだと思っています。中途採用者に、求めすぎだと思っています。

昭和の時代、お父さんがたは、自宅で勉強していましたか?私の上司は、日経新聞を読むくらいしかしてませんでしたよ。




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