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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。

私は、約30年前に結婚しました。結婚した時は平成になっていましたが、昭和のころの結婚観もまだ残っていました。

クリスマスケーキ

クリスマスケーキは12月24日までは、定価で販売されますが、25日には、ディスカウント価格で販売され、26日以降は売れません。これにちなんで女性は24歳までに結婚しようということです。
昭和60年代では、もうこのクリスマスケーキ説は薄れてきていましたが、30歳が区切りになって結婚する女性がたくさんいました。

お見合い

令和になって再び脚光を浴びてきたお見合いですが、昭和から平成10年くらいまでは、結婚適齢期の女性には、お見合い話が持ち込まれていました。お見合いを依頼するのは、適齢期の女性の親がほとんどです。仕事で収入を得て独立する女性が少なかった時代です。結婚して出て行ってほしいと思っている親御さんが多かったと思います。お見合い相手を探してきれくれるのは、親戚のおばさん、生命保険の外交員、女性の仕事先の上司、めずらしいとこでは、ピアノの調律師という話もありました。生命保険の外交員は、結婚後に保険に入ってもらうため、仕事先の上司は、女子社員の入れ替えという思惑がありました。ピアノの調律師は、ピアノが家にある家庭は、「お嬢様」だろうという憶測で、お見合い相手の紹介をしていたと聞きました。どの方も家庭の事情に合った方をお相手として紹介しました。つまりお金持ちの家庭にはお金持ちをということで、案外、カップルは成立していたのです。

夫の親と同居

これは、30年前でも、避けたいと思っている女性がほとんどでした。それでも、今よりは、同居されいる方が多かったと思います。独身でいるか、結婚して同居するかの選択もありました。農家などは、安価な働き手としてお嫁さんが必要でしたので「同居」は必須でした。平成20年を過ぎたころから、この安価な働き手は、外国からの実習生に代わりました。

結婚後の仕事

結婚後は、家事に差しさわりがないように、「パート」として働く方が多かったです。これは、、大手自動車メーカーでも、結婚後は退職することを勧められていたと聞きます。労働組合があっても、助けてくれなかったそうですから、労働組合で働いていた方も女性は結婚したら、退職していたのでしょう。

昭和の結婚観は、いかがでしたか。令和になり変化して、結婚しやすくなっていま・・・・・せんね。男性側の意見も聞けたら面白い論議になると思います。

サポートしていただけたら、とっても嬉しいです。昭和の文化をとことん、語ってみたいと思います。昭和のOL仕事についてお知りになりたいことがあれば、コメント下さい。noteでお答えいたします。