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過去奇行考~名言ノート~

この記事は、筑波大学人文・文化学群 Advent Calendar 2022 の20日目の記事です。

初めまして。yamatoと申します。
このような形で文章を出すのは初めてです。拙く冗長な文ではありますが、期末の息抜きにでもお読みいただけたらと思います。
今回は、私が中2〜高3くらいまでやっていた「名言ノート」についてつらつら話します。語感が良いのでノリで大層なタイトルをつけていますが、そこまでの奇行ではないと思っています。サムネ詐欺みたいなものです。


名言ノートis何

中2から高3まで、手のひらサイズ(多分A7くらい)のノートを持ち歩いて生活していました。中身はこんな感じです。

高2頃。今見るとあんまおもんないな

私は「名言ノート」と呼んでいました。ネタ帳とか名言集とか呼んでる人もいたと思います。
主に学校で、同級生や先生の口から発せられた名言(迷言)を私基準で書き留めたものです。琴線を殴りつけてくる言葉を拾えたときは嬉しかったですね。しょうもない言葉が好きなので、しょうもないのが多いです。
高3の時点で多分このノート3冊分くらいにはなったと思います。ちなみに、1冊目は制服の胸ポケットに入れたまま洗濯してしまいました。よくある悲劇ですね。

きっかけと歴史

中2の夏頃、私は小さなノートを学校に持っていくようになりました。緩部活でしたが一応夏休みにも練習がありましたので、すっぽかさないよう練習日や持ち物をメモするためです。何せ鳥頭なものですから、いつもしっかりものの友達に面倒見てもらってました。
さて、この部活の同級生やたらキレのある発言を繰り返す人ばかりで、とても愉快に暮らしていました。そこで、ふとこの発言を何か形に残しておきたいと思い、気づきました。

あるじゃないですか、このノートが。

その後本来の意図でノートが開かれたことはない

いくつか書き留めるうち、小学6年生の頃に受けた国語の授業での取り組みを思い出しました。うろ覚えですが、「気に入った言葉を集めた記録を作ろう」というようなものです。先生に紙をもらい、自由に書くことができました。当時の私はハマってた曲の歌詞とか好きな詩の一節を書いたりしていた気がします。
この記憶は、私が周囲の人の発言を書き留める行為に根拠を与えてしまいました。以後、大変高い熱意を持って周囲の人の発言に耳を傾ける
優秀なJCおよびJKとして過ごすことになります。「メモ取って偉いわね〜」みたいな感じでお褒めいただいたこともあります。メモしてるのはあなたの失言ですが

実態

あまりに大っぴらに書き留めまくるので、いろんな人に知られることになります。だんだん数が集まってくると「見せて〜」とクラスメイトに読まれるようになりました。2冊分くらいは常に持ち歩いてたので、結構良い暇つぶしになったみたいです。
うれしいことに、他クラスや他校の友人の中には名言ノートを新たに始める人もいました。たまに見せ合うとめちゃくちゃ面白くて良かったです。

また、2019年(高2春)から、botbirdやtweetbotを使ってTwitterで名言botを運用しはじめました。まあ身内向けおふざけbotです。
このアカウント はもともとその名言botだったのを、卒業にともなって大学アカにしたものです。

よかったこと

・文章を書く習慣が途切れなかったこと

小学校入ったくらいの頃から自分でお話を作ってきましたが、小5で習い事を始めてから忙しくなり、少しずつ書かなくなっていました。書くことは辞めたくないけど、書くモチベはない……という状態です。ほんの短いものでもいいからなにか言葉に触れておきたかったので、この習慣はちょうどいいものでした。

・短文表現力が鍛えられた(?)こと

全然関係ないですが、短文での表現力はTwitterの140字制限内で万バズネタツイをする能力に近いかもしれないなと感じました。ああいうツイートってたまにめちゃくちゃ面白いのがあるので、いいね欄が埋まっちゃってちょっと嫌です。何が楽しくていいね欄に「コ淫乱ドリー だりぃ」とか残さないといけないんでしょう。あーあ

難しかったこと

・文章にした途端つまんなくなる

「面白さ」っていろんな要素が奇跡的に噛み合って生まれるものだと思うんですよ。前後の文脈、場の空気、声のトーン、発言者の属性、などなどそういったものがたくさんある。だから、「聞いたときはあんなに面白かったのに文章にした途端つまんなくなった」がでてきます。
これに関しては多分「おもろい」の核が言葉以外の部分に存在している場合、言葉だけだとどうしても再現するには足りなくなるんだろうな、と自分なりに解釈しています。逆に、「おもろい」の核が言葉にある場合は、文字通りの言葉だけを切り抜いても面白くなることが多いのではないでしょうか。多分。知らんけど。

・あとから見たら分かんなくなる

学校での状況って映像ですから、映像を一文で、どんな人でもできるだけその映像に近い映像が再生されるように書き留める必要があるわけです。この表現部分をやらかすと、後から見て状況が伝わらなくなります。情報の取捨選択は大事な能力ですね〜めちゃめちゃ難しいです。映像をすくいとってそのままノートに流し込もうとするのって、行間に込められたものが多すぎて、こぼれ落ちてしまうことがたくさんあります。表現の限界というやつでしょう。

浅いお気持ち

とまあこのような理由で、ノートに書くときには、より状況が伝わりやすいように、あるいは面白さの要素を補給するために、語末表現を少し変えたり言葉を足したりすることがありました。けれどそれって、口から発せられた言葉そのものではないですね。言葉を記録するのとは違う行為になってしまっています。
今なんとなく思ったことは、私は多分言葉だけじゃなくて、好きだなと思った時間そのものもなんとか留めようとしてきたのかもしれないなーということです。
教室のざわめきとか、でっかい窓から差し込む日差しとか、あんま頭に入ってこない先生の話とか、居眠りするクラスメイトの後頭部とか、ごわごわする制服とか、なんかそういうものを無意識に、残しておきたかったのかもしれないですね。結構学校のこと気に入ってたみたいです。だから、ちっちゃなノートの一行で情景まで思い出せるような書き方をしようと頑張っていたのかな。なんか健気に見えますね。

おわりに

書くのが好きなので、つい多くなってしまいました。脳内がとっちらかってるのでいろんなこと書きたくなりますね。読ませる気がなくて申し訳ない。
私が平安時代に生きてたら絶対yamato撫子☆カス日記みたいなのを書いてたと思います。ツイートの内容を見れば明らかです。この日記いといといたしかしとなって自分で燃やすことになるに違いありません。
あんま向いてないっぽいですが、私が楽しかったのでokということにして終わらせていただきます。ありがとうございました。頑張って期末を倒しましょう。

追記
一時期ITF.21名言botを作ろうとしてた時期もあります。でもやめました。50ツイートくらい収集はしましたが、訴えられたら負ける気しかしないので。
それに、大学は休み時間に移動してることが多いので、なかなかリアルだと集まりません。多分もうやらないかな。



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