志賀直哉『流行感冒』 感想文
神経症とは主観的事実の病である、という文章を目にしたことがある。
例を挙げると、心臓の病で急死した知人の死に慄き、自分も同様の病に見舞われ死ぬのではないかという恐怖から生じる自らの感覚のみを唯一の事実として認識してしまい、主観に囚われることである。
すると普段気にも留めない心臓のちょっとした違和感や、日常生活動作で起こりうる多少の動悸でさえも件の病と結びつけ、死と結びつけてしまう。まるで風に揺れる柳の葉を幽霊と信じて疑わないようなものだ。
これに対し客観的事実は、概ね