お下がりの服はクローゼットの邪魔者
自分で服を買う場合は、その服のどこかしらが気に入って買うわけだからまず問題はない。
でも、はじめから邪魔者なのは、お下がりの衣服である。
私は思う、自分が着ない服をお下がりとして押しつけるのは、自分が買った服を自分で処分する責任から逃げている行為であると。
お下がりで人に押しつけるくらいなら、たとえ値が付かなくても買取に出すか、メルカリとかヤフオクで売るか、自分で捨てるべきである。
欲しいと請われて譲る場合以外は、服の「下賜」はいらないものの押し付けに近い。
自分の買い物の失敗は自分でつけるべきで他人に押しつけるべきではない。
自分の着た服の始末は自分でつけるべきである。
特に、何十年も経った古い服は、ヴィンテージとして売れるようなシャネルとかディオールクラスのよっぽどの高級ブランドでないと値が付かない。
それか、これは分かりやすい高級ブランドよりももっと希少な存在になってくるが、マルジェラみたいに、コレクターのようなマニアがいるブランドなら古くても値が付く。
上記のようなブランド服をお下がりとしてもらえる場合は稀であろう。
たいていはお下がりでもらうような服は、中途半端と言っては悪いが、「普通」か、”ちょっとした”ブランドの服なのである。しかもシロウト保管だから状態も様々である。
そういうものは、貰った当人が気に入らなければ、くれた人と捨てる衣服に対する罪悪感を抱えながら捨てることになる。
ありがた迷惑どころか人を不幸にするのがお下がりだと思う。
もらった方にしても、お下がりは、服の寿命まで着ることはない。
お下がりは、自分が100%気に入って自分の服にしたものではないから。
お下がりの服よりも、自分が気に入って買った中古の方がずっと愛をもって着れる。自分が心から欲しいと思った服だから。
お下がりは、結局、捨てるか、状態が良ければ買取に出すしか処分の方法がない。
こういうことを考えると、ものすごい高級ブランドの、めちゃくちゃ気に入ったものを一着買って、ほとんど毎日着て、ボロボロになるまで着倒すのと、中途半端な服を色々買うのと同じくらいの減価償却費かもしれないと考えたりする。
まあ私は高級ブランドなんて買えないから高級ブランドで、なおかつデザインもフィット感も自分にとって完全無欠の服でもいつか飽きて手放すかどうかも分からないけど。
こんな風に考えているので、私は、モノはなんでも自分で買って、自分で消費するに限ると思っている。
モノにこだわりのある自分は、人からもらうものはほぼ100%気に入らないから、自分が人に何かをあげる場合は、食べ物などの消え物にしている。高級チョコレートとか。高級チョコレートだったら、もし本人が食べなくても周りの誰かが食べるだろうから。
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