モード誌は美しい夢を見せてくれる

高校生になる頃からFIGARO、SPURなどのモード誌を読むようになってハイファッションに憧れるようになった。
よく、下校ルートにある大型書店に寄って、ファッション誌をチェックしていた。学校の図書館にはVOGUEが入っていたので、毎月VOGUEは学校でチェックし、京都府立図書館には(確か)マリー・クレールが入っていたのでそこでチェックしていた。

ところでモード誌といえばGINZAがあるが、全国に流通する雑誌なのに東京の地名を付けているのがまずイヤで、さらに京都と奈良しか知らない人生を送っていた私は、本物の銀座を知らないのにその名称の雑誌を買うのが受け入れられなくて、高校生の頃は存在は知っていたもののかたくなにGINZAを手に取らず、上京してからやっとGINZAを読んだ。

私は高校生が読みそうなSeventeenなどには全然興味がなく、かといってZipperとかKERAとかそっち系でもなく、ギャル系でもなかった。学校ではSeventeenっぽい制服風コーデの子やバンギャ風の格好をしている子が一定数おり、ギャル系は私の通っていた学校の場合、「なんちゃって」制服系と入り混じっていた。
彼らは雑誌などのメディアが提案する「カルチャー」に寄せていて、ジャンルとかどうでもいいから自分がいいと思ったものが好きな私とは別の存在だった。

モード誌、ランウェイ誌は、自分の装いの参考にするというよりは、鑑賞。
高三からランウェイ誌を読むようになったけど、ランウェイ誌というものをこの世に発見した時は意味が分からなかった。ランウェイ画像のみで他に何もないから。それに対し、モード誌はランウェイ誌の夢と現実の橋渡しをしてくれる。
今思えば高校一、二年生の頃は、ランウェイ誌を読む前段階としてモード誌を読んでいた。

受験期はファッション追求を休止していたので、勉強のあいまに美術書や、雑誌「FASHION NEWS」を眺めるのがささやかな息抜きだった。
夢のように美しい絵画や、夢のように美しい服を美しいモデルが着ている画像を見ると、短時間でも良い気分転換になった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?