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四十九日を終えて

本日、父の四十九日でした。

お骨になった父をお墓の中に入れるというセレモニーでしたが…結局、一連の法要は生きてる人のためのものなのだなと実感しました。

妹の夢に出てきた限りでは、全く迷いなくあちらに移行している様子の父ですが、こちらも少しずつ区切りをつけていく必要がある訳でして。

1週間ごとの法要、四十九日、再来月の百箇日、何とも感じていないようで、密かに心に響いておりました。

特に四十九日を終えた区切りで父の携帯から各方面にご報告をしたのですが、その返信で生前の父の姿が思い浮かんで来て涙。

私が思っている以上に各方面に影響を与えていて…昭和の頑固さがありつつも、リベラルに生きていたんだなぁと。

延長せず、60歳でキッパリ定年退職した後に中国に語学留学し、中国語をマスター。そもそも定年の数年前からバックパッカーでアジアを歩き回っていました。

語学留学した中国でも様々な人たちと交流して、帰国後もその関係が続いていました。
ちなみに帰国後はボランティアで日本語を教えていて、英語、中国語、日本語のトリリンガルっていう…え、すごいな。いまさら。

なんと言うか、彼が築いた人脈というか、勇気付けみたいな功績を今さらに目の当たりにしている訳です。

家族が知らない繋がりが豊富なのは一種、健全でもあり最後の最後まで一個人的な活動が終わらなかった証なのかと思います。

それは人として素晴らしいなと思うし、父の娘として、私が思うリベラルを(生前の父なら眉をひそめそうでも)行うべしだな、と感じる次第です。
父を含めたご先祖一同、子孫たちが慣習に囚われた生き方を望んでる訳じゃないからねー。

究極にリベラルで自主的な在り方が、結局はご先祖孝行にもなるんですよね。そういうふうに生きて行くのが、子孫代表として目下の目標です。

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