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ルドルフ・シュタイナー『大天使ミカエル』(GA194):人間(ミクロコスモス)と地球(マクロコスモス)の照応関係について-講義の読み方の提示②-

1.最初の一文の残りの半分の意味について

前回、私はタイトルの意味についての問題を取り上げた際に、最初の一文の残りの半分の解釈について、別のノートを書くとして、いったん度外視してほしいと述べておきました。また、(私は私の不満で『大天使ミカエル』と題しましたが、)タイトル名は無難に訳せば「ミカエルの派遣」のほうが合っているとも述べておきました。最初の一文の残りの半分は、このミカエルが働きかける対象ということになります。今回はその部分を取り上げます。

2.高橋先生の超訳の問題について

そこでもう一度そのドイツ語文と高橋訳と私訳とを引用させていただきたく思います。

Ich möchte in diesen Tagen etwas sprechen über die Art und Weise, wie wir Menschen der Gegenwart in der Lage sind, uns zu stellen zu derjenigen geistigen Macht, von der wir sagen können, daß sie als die Macht des Michael eingreift in das geistige und damit auch in das übrige Geschehen der Erde.(強調は筆者による)

これから六日間にわたってお話しするのは、私たち現代の人間がミカエルという霊的存在の力とどう関わることができるのか、その関わりの仕方についてです。ミカエルの力は地上のいっさいの出来事に、それゆえにまた、地上の霊的な出来事にも関与しています。(高橋訳『ミカエルの使命』p.5)

これから始まる数日間の講義では、こんにちの私たち人間が、あの霊的な力とどう関わることができるかについて、いくらか話してみたいと思います。それはミカエルの力として地球の利発な部分に働きかけることで、それ以外の現象にも働きかけると言い表すことができる霊的な力のことです。(私訳
『大天使ミカエル』)

この後半の部分について高橋訳はund damit を挟んで本来in das geistige (Geschehen der Erde)⇒auch in das übrige Geschehen der Erdeとなっている順番をひっくり返して訳しています。明らかに原文通りに訳したのではなくて、超訳の意図を感じます。この超訳に対する私の見解は、「結果的には、ある意味では合っているかのように見えるが、ある意味ではすっ飛ばして認識できなくなってしまったことがあるために、危険な側面も残してしまっているのではないか」というものです。高橋先生はどうしてこう訳したのかの説明を付していられないので、こちらでどうしてこう訳したのかを考えるしかないのですが、高橋先生は「私たちの時代の霊的背景について」の講演の中で、第三講にものすごく重要なメッセージがあったとしてこう述べておられます。

「どんな一本の草花も、どんな生き物も、それを見て、そこに同じように高次の霊的な存在の働きを感じとる。日常の毎日毎日の中に霊的な体験を持つ。そこに自分を超えた尊い霊的な存在の在りようを感じとる。それがミカエルの時代の、ミカエルへの道である、というのです。」(高橋巌『ミカエルの使命』p.225-226)。

これがとても大切なことであることは事実です。これを踏まえますと、高橋先生はgeistige以外を意味するübrigeを含んだin das übrige Geschehen der Erdeを「地上のいっさいの出来事」ととり、この場合のübrigeの本質はgeistigeであるととり、これを見抜くミカエルの力が「地上のいっさいの出来事に関与する」ということは、「地上の霊的な出来事にも関与している」のも同然だという風に受け止めたのだと思えます。そうすれば、第三講から高橋先生が最も重要と受け取ったメッセージに即して考え、順番を入れ子にしてみれば辻褄合わせとして結論的には合っているのではないか、と判断されたのかもしれません。

しかし、私からすると、第三講の説明を重要視しすぎて、そこにいたるまでの過程が全て飛んでいるという感じが否めません。実はこのすっ飛び具合が、そもそもこの元のin das geistige (Geschehen der Erde)⇒auch in das übrige Geschehen der Erdeという順番と比較すると、まさに形態霊⇒ミカエルの力が順番的には最初に働きかけることになっているはずの重要な対象であるin das geistige (Geschehen der Erde)の意味の取り違えが生じていて、かつ飛ばされていることになっていると言わざるを得ないのです。順番を入れ子にしたがために当然と言えば当然かもしれませんが、私見ではこのことはここだけでなく、講義のあらゆる箇所の訳に枚挙にいとまがないほどに影響が出てしまっているように見えます。素直に読めば読める肝心なところが変えられてしまっているのです。この問題は、最終的には、先のノートの内容も含めて、高橋先生が大切と仰っているところのこの「ミカエル流の思考」(michaelich Denken)がどのようなプロセスを経て私たちに定着するのか、そして、どうしてそれが「ミカエル流の思考」と称しうるのかが読み取れなくなるという問題に帰着することになります。

3.地球の利発な部分とそれ以外の現象とは?

私は「あの霊的な力(キリストの力)がミカエルの力として働きかける一番目の対象であるこのdas geistige (Geschehen der Erde)地球の利発な部分と訳し、二番目の対象であるdas übrige Geschehen der Erdeは、それ以外の現象と訳しました。こう取るべき理由も、講義中に根拠があります。

本講義の第一講が「準備」と称せられたうえでどういう構成をしているかに注目してみてください。形態霊までのヒエラルキアの話が終わると、今度は次のような図が置かれるとともに、人間の頭部(Haupt)と頭部以外の有機体(übrigen Organismus)の話が出てきて、それから私たち人間が地球の二つの天体領域内(圏内)にいるという話が出てくると思います。

これは、第二講で語られる地球の感覚と人間の感覚とはまるごと一体であると語られる、人間(ミクロコスモス)と地球(マクロコスモス)の照応関係の前振りなのです。また、この図の周辺では、惑星の進化発展プロセスにおいて、たとえば月紀から地球紀へ、地球紀から木星紀へと移行していくとき、その各々の進化発展期における人間の生活の在り方も一変してしまうということ、つまり人間の生活の在り方と惑星の進化発展プロセスとが密接に絡んでおり、惑星の進化発展によって人間の生活の在り方も全く変わってしまうということを念頭においた記述があります。

Wenn Sie einmal diese Grundbegriffe, die wir jetzt aufgenommen haben, zunächst ins Auge fassen wollen, wenn Sie festhalten wollen an der Idee, daß wir drinnenstehen in zwei Sphären, in derjenigen Sphäre, in die wir gebracht sind dadurch, daß wir Saturn-, Sonnen-, Mondenentwickelung durchgemacht haben und innerhalb der Erdenentwickelung stehen, daß wir also auf der vierten Stufe unserer Entwickelung stehen, wenn Sie ferner in Betracht ziehen, daß wir außerdem drinnenstehen in einem Leben, in einer Sphäre, welche so angehört den Formgeistern wie uns die Erde angehört, welche aber unsere Erde durch- dringt und nur unser Haupt ausschließt, so daß wir mit unserem ganzen übrigen Organismus, mit alldem, was nicht Sinnesauffassung ist, stehen in dieser achten Sphäre: wenn Sie dies ins Auge fassen, so haben Sie eine gewisse Grundlage geschaffen für das Folgende.

差し当たり今しがた取り上げたこの基礎概念に注目して、私たちが二つの天体領域の中に存在しているという理念を心にとめておいてください。一つは、私たちが土星、太陽、月の進化発展を経て、地球の進化発展の内部に、つまり、私たちがその進化発展の第四段階に存在していることによって運ばれてきたところの天体領域です。更に、私たちはもう一つの生活圏内にも存在しています。私たち人類に地球が属しているのと同じように、形成霊たちにこのもう一つの天体領域は属しています。ただしこの天体領域は、私たちの地球に浸透していますが、私たちの頭部のみ除外しています。このことを考慮に入れれば、私たちは、自分の頭部以外の有機体全体、感覚的知覚ではないもの(超感覚的事実)もろともに、その進化発展の第八段階の天体領域の中にも存在しているのです。以上のことを注視すれば、皆さんはこれから述べることに対して一定の基礎を作り出したことになります。(シュタイナー『大天使ミカエル』第一講・私訳)

皆さんが『神秘学概論』をお読みであれば、人間の生活が、環境、即ち人間が生活を営んでいる居住地とどんな点でも関連があることはご存じでしょう。そして人間の進化発展と地球の進化発展との間には関連があるということもご存じでしょう。ですから本講義でも、マクロコスモス(地球)での現象として語られることでも、即ミクロコスモス(人間)での現象としても読み取る必要がありますし、逆にミクロコスモスでの現象として語られることでも、即マクロコスモスとして語られることでもあると読み取る必要があるのです。つまり、言ってみれば、人間の頭の現象は、地球の頭(天体領域Ⅳ)の現象であり、人間の頭以外の有機体の現象は、地球の頭以外の有機体(天体領域Ⅷ)の現象なのです。

そしてこの人間と地球の照応関係が語られた後にルツィフェルとアーリマンの話が出てきます。書き出しに注目してください。

Wenn wir unser Leben unter solchen Einflüssen betrachten wollen, so können wir es nicht anders betrachten, als indem wir ins Auge fassen diejenigen an dem Weltengeschehen mitwirkenden Wesenheiten, die wir öfter schon erwähnt haben: die luziferischen und die ahrimanischen Wesenheiten.

以上のような影響下にある私たちの生活を考察したいのであれば、私たちが既にしばしば言及してきた世界事象に関与するあの存在たち、即ちルツィフェル的な存在たちとアーリマン的な存在たちを注視するやり方以外では考察できません。(シュタイナー『大天使ミカエル』私訳・強調は筆者)

この文の真意は、上記の図1の説明を心に留め置きながら、第二講・第三講に至りますとはっきりします。ルツィフェルは、ミクロコスモスでは人間の頭の中、マクロコスモスでは進化発展の第四段階の天体領域(天体領域Ⅳ)を棲み処としているとされ、アーリマンは、ミクロコスモスの次元では人間の頭以外の有機体(厳密に言うと三分節では胸部と分けられた四肢部分)の中、マクロコスモスの次元では進化発展の第八段階の天体領域(天体領域Ⅷ)を棲み処としているということが分かります。図1とセットでこのことを理解する必要がありますから、私なりに図1を編集すると以下のようになります。

黄色がルツィフェル、赤色がアーリマン。
斜線の向きを逆にすることでミクロコスモスとマクロコスモスの照応関係を見やすくしている。

こう見ると、ルツィフェルとアーリマンの住処も、「人間の頭は地球の頭であり、人間の頭以外の部分は地球の頭以外の部分である」と先ほどまとめたこととぴったり一致していることが分かります。

さて、前回のノートでも見た、第一講の最後の段落ですが、次のように続いています。

Alles das hängt zusammen mit der Sendung des Michael gegenüber denjenigen Wesen der höheren Hierarchien, mit denen er wiederum in Verbindung steht. Und wie wir dazu kommen können, diejenigen Impulse, die von der Michael-Wesenheit in unser irdisches Menschendasein hereinstrahlen, zu verstehen, davon wollen wir dann morgen und übermorgen sprechen.

以上の全ては、あの高次のヒエラルキア存在たちと向き合っている大天使ミカエルと関連しています。ミカエルはミカエルであの高次のヒエラルキア存在たちと結びついているのです。ミカエル存在から私たち地球上の人間存在に放射されるあの衝動をどのように理解することができるようになるのか、それについては明日と明後日にお話ししたいと思います。(『大天使ミカエル』私訳)

少なくとも素直に読めば、ミカエルが地球上の人間存在に自らの衝動を放つということと、ミカエルがルツィフェルやアーリマンに働きかけるということは読めるはずです。そしてゴルゴタの秘儀以前のミカエルはヤーヴェの顔(夜の霊)として、ゴルゴタの秘儀以後のミカエルはキリストの顔(昼の霊)として、人間存在に働きかけるわけですが、第二講、第三講と読んで行けば、その最初の対象は、ルツィフェルであることがわかります。

これで、das geistige (Geschehen der Erde)の意味とdas übrige Geschehen der Erdeの意味がはっきりするでしょう。つまり、前者は、地球⇔人間の頭(Haupt)の中のルツィフェル的要素であり、後者は地球⇔人間の頭以外の有機体(übrigen Organismus)の中のアーリマン的要素なのです。ここから、geistigeのニュアンスはいわゆる頭の中の「才気・才知」と取れるような訳にすべきであることが導かれるわけです。ですから、一見「地球の」ということで、地球のこととしか語られていないように見えて実のところではそうではなく「地球⇔人間」という照応関係が暗に含まれているものと考え、das geistige (Geschehen)に「頭の中」を連想させるような訳語として「利発な部分」をあてがい、das übrige Geschehenには「それ以外の現象」とあてがうことで、以上にまとめたことが示せるのではないかと思われます。この地球⇔人間の「利発な部分」が、のちのち第二講義以降でルツィフェル的な要素(Element)として説明される場合の頭の中のDenken、Gedanke、Idee、Verstand、Intelligenz、Vernunft、Bildung、Weisheit、uswに当たるわけです。これらの語は『大天使ミカエル』講義では頭の中のルツィフェル的な要素として説明される場合に限ってではありますが、別々の言葉としては使われていません。一見別々の言葉で使われているからと言って、惑わされる必要はないのです。この頭の中のルツィフェル的な要素にキリストの力がミカエルの力として働きかけるということ(ミカエル衝動(Michael-Impuls)、ミカエルの雷霆の一撃(Michael-Einschlag))が何を意味するかと言えば、シュタイナーの諸講義をお読みであられる皆さんならご存じの、あのルツィフェルの救済ルツィフェルの聖霊としての甦生であろうと思われます。これは一度に行われるわけではなく、日々の生活の中の気づきを通じて徐々に定着していくこととして語られているように思われます。そしてこれが人間⇔地球の頭の中にミカエル流の思考(michaelich Denken)が徐々に定着していくということとつながっており、それがキリストの力⇒ミカエルの力が働きかける第二の対象であるアーリマンの除去「「人間⇔地球」の「肉体⇔物質」の霊化」という木星紀に向けた人間の使命ということにつながっている、と筆者は解釈しております。このことについては第二講に触れる必要がありますので、別の機会に述べたいと思います。

4.本ノートの終わりに

いかがでしたでしょうか。この最初の一文は、ドイツ語の文としてはそれほど難しい文ではないのですが、細部が全体を端的に表現しているということと、語り掛ける最初からいきなり示唆的に語られているという意味では真意を読み取るに至るまでがなかなか難しい文となっていると思います。私が提示しているのも一つの読み方、一つの解釈でしかありませんが、どうしてこう訳したかの合理的な説明が付けられれば良いのではないかと思っています。

ところで、筆者が本講義に興味を持ったのは高橋先生の『シュタイナーの人生論』でした。当時は高橋訳の『ミカエルの使命』が出る前であり、そのときに内容に興味を持ち、思い立って、訳がないので原文で読んでみようと試みたという経過が事実としてあります。しかし、高橋訳が出た当時、私には最初の5ページ目で、戸惑いと躓きを覚えたというのが本音でした。なにせ、最初の一文から超訳となっていて全然違っていたからです。余計なおせっかいと思う方もおられるかもしれませんが、これまで二つのノートで取り上げたタイトルの違いと最初の数行の違いだけでも読み比べていただければと思います。

Ich möchte in diesen Tagen etwas sprechen über die Art und Weise, wie wir Menschen der Gegenwart in der Lage sind, uns zu stellen zu derjenigen geistigen Macht, von der wir sagen können, daß sie als die Macht des Michael eingreift in das geistige und damit auch in das übrige Geschehen der Erde. Es wird notwendig sein, daß wir dasjenige, was dabei in Betracht kommt, heute einmal vorbereiten. Denn es sind verschiedene Gesichtspunkte notwendig, welche die menschliche Verständigkeit befähigen, die verschiedenen Eingriffe der eben bezeichneten Macht aus den Symptomen, die wir ja immer in unserer Umgebung bemerken, wirklich wiederzugeben.

これから六日間にわたってお話しするのは、私たち現代の人間がミカエルという霊的存在の力とどう関わることができるのか、その関わりの仕方についてです。ミカエルの力は地上のいっさいの出来事に、それゆえにまた、地上の霊的な出来事にも関与しています。そこで、そのときに問題になる事柄を、今日は改めてはっきり意識しておくことが必要だと思うのです。実際、私たちの周囲の環境の中にいつでも認めることのできる様々な徴候から、ミカエルの力の様々な関与を意識しておくことが必要だからです。そしてそのためには様々な観点が必要です。(高橋訳『ミカエルの使命』p.5 強調は筆者)

これから始まる数日間の講義では、こんにちの私たち人間が、あの霊的な力とどう関わることができるかについて、いくらか話してみたいと思います。それはミカエルの力として地球の利発な部分に働きかけることで、それ以外の現象にも働きかけると言い表すことができる霊的な力のことです。今日のところはまず、このことを取り上げる際に問題になることを準備する必要があるでしょう。というのも、私たちがいつも自分の身の周りで目にする徴候から、今特徴付けた霊的な力の様々な働きかけを、人間の悟性で実際に素描することができる、様々な観点が必要だからです。(私訳『大天使ミカエル』強調は筆者)

ここで「悟性で実際に素描することができる」と言っていることからは、「悟性」という言葉で、「それがたとえ最初はルツィフェル的な仕方であっても」という裏書きが含まれています。最初の一文の「霊的な力がミカエルの力としてルツィフェル的要素に働きかけ、ひいてはアーリマン的要素に働きかける」というその特徴を、たとえ初めはルツィフェル的な仕方であったとしても、その特徴がわかるように、様々な観点から提示することが必要だと述べているのです。シュタイナー本人の語り方は、初めから聴講者・読者の思考、即ち頭の中のルツィフェル的要素に訴えかけるような仕方で語り掛けているといえます。筆者には、あとで聴講者・読者が、自分が語り掛けたことそのものを、実感を伴って体験できるときがくるかのように語り掛ける、そのような語り方を感じさせてくれるような語り方だと思えてなりません。「読者の思考と感覚に訴えかける」仕方は、初期哲学の頃から崩れていないと思うのです。しかし上記では、結論的には合ってるように見えますが、解釈の違い以上の超訳が入ってしまうことで、高橋先生が最優先で述べたいことだけが強調された文に変わってしまっていることがわかります。私見では、講義のこの出だしは、講義の内容全体がどういうものかを端的に説明している文です。しかし、高橋訳はそれに続いている文章でも、その超訳に則ってを強引に推し進めてしまうので、講義全体の連関がわからなくなってしまっているのです。高橋先生が取り立てて重要な課題だとおっしゃっている「ミカエル流の思考」は、講義全体の連関の内の一要素なのです。第三講で語られる「ミカエル流の思考」がとても大切な事実であることは、私も実感しております。しかし、私見では、原文ではその思考がどうして「ミカエル」の名に値するかが、既にこのalsという形で表されていると思われるミカエルの在りよう(前ノートを参照)からも既に表されていると思われますし、一見ミカエルが関係なさそうに見える文章まで「大天使ミカエル」が関係しているような講義となっている、とさえ言うことができるのではないかと仮説立てています。こうしたことについては、また別ノートを立てる必要があるように思いますので、機会があればまた別のノートとして書こうと思いますが、超訳ということで、こういうことを抜きにしてしまって果たして本当によいのでしょうか…。

以下には何もありません。筆者は『大天使ミカエル』講義の私訳を準備中です。もしも本記事をお気に召していただけた方で、投げ銭に値する、翻訳の支援に値する、「いいね」に値すると思われた方は、ご支援いただければ幸甚です。どうぞよろしくお願いいたします。

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