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碇ユイの精神姿勢①

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 エヴァの劇中における碇ユイの存在は、ありとあらゆる点において、最大の謎と目されてきた。彼女の実態はつかみどころがなく不透明、不明瞭であるなどといわれてきた。しかし、ユイの精神姿勢は劇中で一貫した形で描かれており、ありのままを捉える要素はあるのだ。そしてそれを問うということは、エヴァのストーリーの全体像を描き出すことにもなる。ここでは、彼女の精神姿勢をきちんと踏まえた形にし、劇中において描かれていた彼女の真意とは何なのか、順序だてて詳解していく形をとろうと思う。

ユイの「願い」についての確認

①ユイの精神姿勢と「願い」の関連性

 まずユイがいかなる人物なのか、簡単なところから取りまとめてみよう。ユイの言葉が現れるのは特に内的描写の精神世界での出来事であったり、回想録であったりするから時系列などの混乱が生じやすい。しかしそれは言葉の数が少ないだけに目立っているから、かえってその意味をとるのはわかりやすいはずである。それらから捉えることができる彼女の現存在姿勢は超然的、つまり物事にこだわらず、頓着せず、平然としている態である。それは冬月が自身の見識からして「嫌な男」と目したゲンドウについてのユイの態度を見ても明らかだ。

 ゲンドウがユイに近づいた目的、それは彼女の優れた才能と、そのバックボーンにあるという影の組織ゼーレに近づくことにあるのではないか、ということが冬月の仲間内で通説になっていた。しかしユイは、そういった世間の噂など気にもとめず、彼と交際しているということに羞恥心など抱いていない。注目すべきは、この「世間の噂」自体がどの程度まで信憑性があるものなのかではなく、こういう噂があるにもかかわらず、まったく頓着していないユイの態度である。

 冬月がよからぬ噂しか耳にしない、第一印象からして嫌悪感を抱かせるゲンドウと、彼の私淑するユイが交際していることを訝しんだ際、「寂しがり屋のかわいい人」と言ってのけるユイの超然とした態度からして、たとえゲンドウの当初の目的がゼーレに近づくために自分に近寄ってきた、ということが本当だったとしても、彼女にとってはそれすらが「寂しがり屋のかわいい人」のうちに入っていると考えられる。悪く言えばユイは一般的な見解を持つ人々の間では浮いた存在であるともいえるが、結局これが彼女の精神姿勢、生き方そのものでもあり、それが結果的に劇中で描かれていることそのものでもあるといえる。

ゲンドウ「セカンドインパクトの後に生きていくのか、この子は。この地獄に」
ユイ「あら、生きていこうと思えばどこだって天国になるわよ。だって生きているんですもの。幸せになるチャンスはどこにでもあるわ」
ゲンドウ「そうか、そうだったな」(第弐拾話より)

 シンジが自身を取り戻し、取り込まれた初号機から回帰する直前に語られる、ユイの精神姿勢がうかがえるシーンの台詞である。ゲンドウはセカンドインパクト後の現実を、「地獄のような世界」だと表現した。それに対してユイは、まったく正反対の見解を示している。それは「人間が生きている」ということそのものをさして、世界そのものがどうあれ、それ自体以上に至福なことはない、ということを言っているのだと捉えることができる。故に、生きていこうとする意志さえあれば、ヒトは幸せになれるチャンスをいくらでも持ち合わせている、と言ってのけているのである。これは物事に頓着せず、超然とした人間の、悟りを開いたかのような感覚に近い。このことは、冬月が劇場版第25話「Air」の序盤において口にする台詞をはじめ、劇中のありとあらゆる場面で現れるユイの台詞と照らし合わせても一貫している。

コウゾウ「ヒトは生きていこうとするところにその存在がある。それが自らエヴァに残った彼女の願いだからな」(劇場版第25話より)

 この終始一貫した説明からして、「ユイの願い」というものが、そのまま彼女の「生きていこうとする意志があること以上に至福なことはない」という精神姿勢に基づいたものであり、そしてこの精神姿勢自体が世界において象徴的に示されるということ、それこそが、そのまま彼女の願いなのだ、と捉えてさしつかえなかろう。冬月の台詞は、ユイがその願いのために、彼女が自分の意志でエヴァに残ることを決めたのだ 、ということがわかる説明として挿入されているのだ。では、この彼女の精神姿勢と直結している「ユイの願い」と、その願いのためにエヴァに残ろうとした理由とは、いったいどのような形で結びついているのか。そして、被験者としてエヴァとの接触実験に挑んだ際、シンジに明るい未来を見せておきたいといったその真意とは、その願いとどのように結びつくのだろうか。

②「ヒトの生きた証」としてのエヴァ

 ユイは名義上「形而上生物学者」であり「アダムより生まれしエヴァ」の基礎理論を提唱した人物である。その彼女が、劇場版の終幕において、その理論に基づき、エヴァについて以下のような見解を冬月に向かって述べている。

コウゾウ「人が神に似せてエヴァを造る、これが目的かね?」
ユイ「はい、人はこの星でしか生きられません。でもエヴァは無限に生きていられます。その中に宿る、ヒトの心とともに。たとえ、50億年たってこの地球も、月も、太陽すらなくしても、残りますわ。たった一人でも、生きていけたら…、とてもさびしいけど、生きていけるなら」
コウゾウ「ヒトの生きた証 は、永遠に残るか」(劇場版第26話より)

 シンジが地上へ帰る際に、母である彼女に別れを告げる場面で、ユイはこれからどうするのか、という問いに対する答えとして提示されたものであると見ることができる。ここでもまた、ユイの一貫した精神姿勢があらわれている。彼女はエヴァを、無限に生きていられる、ヒトの心を宿す器である、と述べた。それは限りある肉体という、生そのものに限界があり、いずれは朽ち果てていく器からすれば、その限界を無制限に超越した器であるとみなすことができよう。生あることそのもの以上に至福なことはないと断言する彼女にとって、その「ヒトの心を宿す器」であるエヴァとは、永久にそれを誇示し続ける存在としてあり続けることができるものなのである。

 これを踏まえた上で、冬月がユイの考えに対して「ヒトの生きた証は永遠に残る」と述べたことと、ユイの精神姿勢を世界に表象的に示すという彼女の願いを照合すれば、彼女が自らの意志でエヴァに残ろうとした理由が自ずと見えてくるであろう。「ヒトの生きた証」とは、エヴァがずばりそのまま、ユイの「ヒトの存在とは生きていこうとすることそのものにある」という精神姿勢を示す「シンボル」、すなわち指標的な存在者となったということである。

 ユイが自らエヴァに残るということは、まさに自らがそのシンボルとなることができるのである。彼女が冬月およびシンジの問いかけに対し口にしたこととは、自分が永久に至福状態を実践でき、さらにヒトそのものが滅び去り、その上地球や月や太陽が、五十億年後になくなってすべてが淘汰されていっても、ヒトが生きていた、ということの証をも、その精神姿勢とともに、自分が永遠に示すことができることを意味しているのである。それが可能ならば、自分は孤独であろうと、ヒトの存在が何たるかを示し続ける証たらんと、その寂しさを乗り越えていくことを示した意志表明であるのだ。

 この過剰なまでの、「人間の存在に生あることそのもの以上に抱く理想などない」という精神姿勢を示すことに充溢している彼女にとって、エヴァに取り込まれることは彼女の願望を満たせる望ましいことなのである。それは「肉体的な死」ではあっても「精神的な死」ではなく、「無限に存続するエヴァ」という「ヒトの生きた証としての痕跡」に自らの魂を融即した状態で、永遠に残り続けるのだ。エヴァの理論上では、魂のないエヴァにはヒトの魂が宿らされる。ユイにとってエヴァとは、時空を超えて永遠を旅する方舟であり、自らの魂を乗せるということにも等しいのである。これがユイのエヴァに対する見解であり、これを成就することは、 彼女にとってはもはやそれ以上に理想を抱くことのない、すなわち理想の果てにまで行き着いた究極の願望達成だということになるのである。

③ユイのサードインパクトに対する見解

 そしてこのことは、エヴァとの接触実験を控えたユイが、その接触実験に対してどのような考え方を持っていたか、さらにはサードインパクトに対してどのような見解を持っていたかということも、一挙に解明できる。これが最も焦点となるべきところであろう。

コウゾウ「ゼーレの持つ裏死海文書、そのシナリオのままだと、十数年後に必ずサードインパクトが起こる」
ユイ「最後の悲劇を起こさないための組織、それがゼーレとゲヒルンですわ。」
コウゾウ「私は君の考えに賛同する。ゼーレではないよ」
ユイ「冬月先生、あの封印を世界に解くのは、大変危険です」
コウゾウ「資料はすべて碇に渡してある。個人でできるようなことではないからね。この前のような真似はしないよ」
ユイ「・・・」
コウゾウ「それとなんとなく警告も受けている。あの連中が私を消すのは造作もないようだ」
ユイ「生き残った人々もです。簡単なんですよ、ヒトを滅ぼすのは」
コウゾウ「だからといって君が被験者になることもあるまい」
ユイ「すべては流れのままに、ですわ。私はその為に、ゼーレにいるのですから。シンジのためにも」
コウゾウ「・・・」(第弐拾壱話より)

 これらの台詞を詳解すれば、ユイとゼーレの関係、そしてユイが何を思っていたかの謎はすべて解けるといっても過言ではない。まずは冬月が述べている「必ずサードインパクトが起こる」とユイのいっている「最後の悲劇」というところに注目していただきたい。紫字にしたのはそこに留意すべき着目点があるからである。これを考える上で留意すべき着目点とは、ゼーレが持っているとされた裏死海文書の「預言書」としての「存在」と、そしてその内容について知った人間の行動がいかなるものだったのか、ということの連関である。

 一般的にサードインパクトとは「=人類の滅亡」と直結している、と考えている人が多いと思う。とりわけ、劇中において使徒との戦いがサードインパクト=人類の滅亡と常に隣り合わせのものである、という情報統制が強いゆえに、そこにかぶせてしまう人が多かろう。それでユイのいう「最後の悲劇」が「サードインパクト」をさし、彼女は本来サードインパクトを防ごうとしていたのではないか、彼女にとってサードインパクトは不本意なものだったのではないか、と推測するケースを多く見かける。だが本当にそうだろうか。

 「預言書」とは、神の意志の解釈と予告が記述されたものである。その内容に、サードインパクトが必ず起こると書かれているということは、それは神の意志であるとされ、かつそれが必ず起こると予告されたということである。主体としての人間は、外部からの情報を得ることでその行動が変わってくる。つまり裏死海文書は人間に、その行動を促す発火材であるといえる。よって問題はこの預言書としての性格を持った裏死海文書の内容を知った人間たちが、それを「知った」ことでどのように動き出したか、を考察すれば、あらゆる立場の人間の行動を分析できるのである。

 ユイの場合は、上に抜粋したユイと冬月の台詞と、冬月の心中の変遷に注目する必要がある。まず、冬月はゼーレによって明らかに隠蔽工作されたセカンドインパクトの真実を知ることを欲し、持ち合わせていた資料によってそれが人為的に起こされたという核心に迫るものをつかんで、たとえその先に自分の思慕するユイがいたとしても、ゼーレをはじめ、ゲンドウら一連の裏に潜んでいる人間たちと敵対する毅然とした態度で、親しげに語りかけるユイの横を憮然とした顔で通り過ぎ、ゲヒルンに乗り込んでいる。そしてゲンドウに対して怒りをあらわにした。

 ところがだ。反感をむき出しにして乗り込んでいったにもかかわらず、上述の台詞においては一転してゲンドウ・ユイらのやろうとしていることに賛同し、それを是として加担する行動にころっと変わってしまった。結果的に「ともに人類の新たな歴史を作らないか」というゲンドウの誘いに乗ったといえるが、こうまで冬月を変えてしまったものとはいったい何なのか。

 それを、上述した「ユイの願い」に関する冬月の台詞と直結していると踏まえて考えてみよう。裏死海文書の内容によれば、このままではサードインパクトが起きてしまう。ところが流れのままに任せていてはサードインパクトが起こってしまうにもかかわらず、その流れに身をゆだねる、すなわち裏死海文書の内容のままに行動しようという意志を、ユイは明確にあらわしているのである。ということは、サードインパクトが起こるということを是としている、という点においては、ユイもゼーレも同じだということができるだろう。

 ユイは裏死海文書の内容を世界に公開することを危険だといい、冬月を制止した。あの連中が自分を消すのは簡単、という「あの連中」とはゼーレである。ゼーレにとって冬月だけでなく、全人類を消すことなど造作もないということが、冬月とユイの台詞から伺えることは明らかであり、そのようなゼーレに対して彼らが反感をもっていることは確かだ。しかしサードインパクトを是としているユイに冬月が単純に阻止するということからころっとかわるだけの考えが含まれていたということも明らかである。これを解くにはサードインパクトが単純に人間を滅ぼすものであるという先入観を捨てる必要があろう。それは以下の冬月の台詞からも言えることである。

コウゾウ「この先にサードインパクトの、無からヒトを救う方舟となるか、ヒトを滅ぼす悪魔となるのか。未来は碇の息子にゆだねられたな」

 ここに読み取れることは、サードインパクトにはその行く末に二つの選択肢が設けられているということである。ゼーレは惰弱な虚無主義者の元凶であり、その虚無主義者たちが唱えたのは「全ての人間に等しき死を与え、人間を本来の姿=完全なる人間にする」ということであった。それは個々の人間の意志を完全に無視したものであり、自分たちの虚無主義を強引におしつけようとするものであった。ゼーレ側がサードインパクト、ひいては補完計画の主導権を握ろうとしていたのは、それが絶対に正しいことだという傲慢さから生じているものだったのである。それすなわち冬月の台詞からして「ヒトを滅ぼす悪魔の所業」だといわしめたわけである。

 ではユイはどうだったのか。それはやはり、ユイの精神姿勢から考察できる。このユイの考えを継承している冬月の台詞から考えられることは、虚無主義の元凶であるゼーレは、ユイの理想に反する人間である。生きていこうとしない人間は、生きていこうとしている人間まで巻き添えにして虚無主義に巻き込む存在であるから、極端に言ってしまえばゴミ以下同然であり、ユイの理想からすれば排除すべき対象なのだ。

 しかしこの虚無主義の元凶であるゼーレは、冬月が言ったように一個人の力ではいかんともしがたいものである。虚無主義者たちを排除するにはどうすればよいのか。それには人を超えた強大な力を持って、同じ虚無主義によって自滅させてやればよいのである。生きていこうとしない人間が希望としているのは「死」であり「虚無」であるから、望むままに死なせ、無に帰させてやればよいというわけだ。

 それはまさに虚無主義者たちには希望通りであるから彼らにはなんら悲劇にはならない。悲劇なのはその虚無主義者によって、まだこれからありとあらゆる可能性を秘めた生があるにもかかわらずその選択決定権すら根こそぎ奪われる子ども、とりわけユイにとっては自分の息子・シンジである。

 サードインパクトはその人間の意志を試す選択の場だったのであり、その選択の場の主導権を、ゼーレという虚無主義者たちが占めてしまえば、それは間違いなくその虚無感を巻き散らされる「ヒトを滅ぼす悪魔」としてのサードインパクトが執行されるだけで、個々人の意志など無関係にヒトを滅ぼすものとなるのだ。

 生きていこうとしている人間の、その意志による選択権を虚無主義者によって完全に奪われては元も子もない。虚無主義の元凶であるゼーレが支配する世界において、サードインパクトへの流れを阻止することはできぬ。だから彼女は、サードインパクトの性質を見据えた上で、人間がその意志を選択する権利まで一方的にゼーレに奪わせまいと、「自分が初号機の被験者となること」を決め、虚無主義者たちを根こそぎ自滅させることを考えたのだ。

 そしてその初号機の被験者として実験に挑んだ際、それがシンジに明るい未来を見せることにつながるといったわけだが、その理屈は簡単である。子どもは人類の次世代を担う存在であり、まだこれから先を生きる、ありとあらゆる「可能性」を秘めた「存在」である。つまり、その全人類の生きていこうとする意志を問う存在としては、老いさらばえて死にゆく老人ではなく、子どもにこそもっとも選択させる存在にふさわしい資格を持っているというわけである。そしてサードインパクトに向けて中心となって活動することを担う自分の息子こそそれにふさわしいというわけだ。

 ユイのいう「最後の悲劇を防ぐ」とは、虚無主義者たちによって、サードインパクトが完全に「ヒトを滅ぼす悪魔」となってしまうことを防ぐことだったのであり、そのための組織が虚無主義の元凶であるゼーレとゲヒルンだという一見矛盾に見えるそれは、彼女にとってそれが、虚無主義を虚無主義によって自滅させるものだということを趣旨においていたのであって、自分が被験者になることで、まだこれからありとあらゆる可能性を秘めている子どもたちが、それによって、完全に選択する権限を失われてしまうことを阻止するということだったのである。

 その子どもの代表者として、彼女は彼女自身をも含めて、世界の流れの中心にいる自分の息子であるシンジを、その意志を問う台座に据え置いたのである。「無からヒトを救う方舟」とは、まさにシンジが乗る初号機=ユイが、人類の新たな未来、すなわち次世代を生きることになる子どもをそこに送り出す役割を果たすか否か、ということだったのである。

 しかしユイの精神姿勢の性質からして、生きていこうとしない虚無主義者には人間としての存在の資格がないということになるであろうから、もしシンジが、サードインパクトの果てに、生きていこうとする意志を持たず、惰弱な精神のもとに虚無へと還ることを望んだならば、それは未来を選ぶ選択者にふさわしい資格を持った子どもが、未来に生きる意志を放棄することを「希望した」ということであるから、ユイはその希望を是として処理するだけであったろう。それはユイの意志に追随することを是とした事とは裏腹に、それに便乗してユイにすがろうとしていたに過ぎなかったゲンドウがないがしろにされ、あっさりと捨てられ、食いちぎられたことを見ても明らかだ。

 彼女はありとあらゆる出来事に対し、自分の精神姿勢を示し、全ての事象を肯定するだけなのだ。だから自分の精神姿勢に背くものには容赦なく強大な力を持って死を与えるし、生への意志を持つ者にはその生を肯定するだけなのである。サードインパクトにおいて彼女が問おうとしていたのは、人間の存在について、その生への意志を問うことが主眼に置かれていたといえるであろう。虚無主義を虚無主義によって徹底的に破壊し、全てをゼロに戻した後、生きようとする意志を取り戻したもの、すなわち己の魂を見出した者だけを還元するのだ。そしてそれを可能にできるのが、神に等しいとまで称された絶対的強者としての力を持ったエヴァンゲリオン初号機に魂を宿したユイだったのである。

 ここまでで述べてきたことをまとめてみよう。

<ユイの考え>

・人間の「存在」とは、「生きていこうとする意志」にある。

・生命力のない虚無主義の元凶ゼーレは、彼女の理想に反する。

・虚無主義の駆逐には強大な力によってそれ自身の虚無主義を促進させることで自滅させるべし。

・人類の新たな未来を選ぶ資格は、未来にありとあらゆる可能性を秘めた存在である子どもにある。

・サードインパクトは人間の生への意志を問い、人間に生か死かの選択権を与える場であり、ユイはその意志を肯定するのみ。

・サードインパクトの主導権を虚無主義者に支配させるべからず。

・生き残るべきは、真に生き続けようとする意志を持ったものだけでよい。

・全てをゼロに戻した上で、己の魂を見出した者だけを還元することで、世界を生命力に充溢させる。

・ユイ自身は永遠に生き続けるエヴァに魂を宿らせることで、生への意志に充溢したヒトの証となることを是とした。

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